単一事例、または少数事例で論文を書く場合

1 一般性を求める(と思われている)論文の中で

「その研究には一般性がありますか。」研究会や学会で、よく聞くことのできるコメントですね。このコメントを聞くたびに、こういうコメントだけはしたくないと天に誓いなおすわけですが(笑)、しかしまあ、こんなコメントをされてしまう方も問題があるわけで、ましてやコメントされてさくっと切り返せない日には、関係ないこちらがうろたえてしまったりするわけです。

さて、そんなわけで、今回は「その研究には一般性がありますか」について対策を考えておきたいと思います。もう少し正確に言えば、論文のタイプとして、単一、または少数の事例やサンプルを元にして、何か主張をなそうとする研究のやりかたですね。個人的には、5つぐらいやりかたがあると思います。

具体的なやり方を見ていく前に、そもそもどうしてこういうコメントがあり得るのかという点について、少しだけ確認しておきたいと思います。それは、論文というものの特性に関わっています。

論文は、何かの主張をなすものだと思います。こんな発見をした、こんな事実があった、あるいは、私はこう思う、なんでもいいのですが、何か主張があるわけです。ところが、何かを主張するだけであれば、格段論文といわなくても、エッセイでもブログでも何でも構わないはずです。エッセイやブログと論文が異なるのは、その主張が正しいということについて、何らかの形で、厳しく検討されているという点にあります。私はこう思う、なぜならば、あれこれのデータがそうなっているからだ。とか、こんな発見をした、これが発見と言えるのは、未だ誰もそんな発見をしていないことを私は調べたからだ、とか。(論文が論文であり得る条件は、個人的にはもう少し別の処にあると思っているのですが、まあそれは今回は置いておいて)

いずれにせよ、こうして論文は何かの主張を厳密になす事になります。だからこそ、論文に対しては、「研究には一般性がありますか。」というコメントがありうるわけです。本当に厳密に調べたの?実は違うんじゃないの?というわけですね。だからまあ、この問い自体は論文にとっては常について回るものでもあり、そんなに悪くいわれるべきものでもないわけです。。僕は言うけど。

2

さてさて、そういうわけで、論文では、その主張が正しいものであることが問われます。その際に、良く出てくる言葉が「一般性」です。例えば、A社は顧客の声を聞いて製品開発して成功した。だから、顧客の声を聞いて製品開発をすることが大事だ、という場合には、当然、それってたまたまなんじゃ、、、という話になるわけです。一般性がない、と。

そこで、第一の方法は、素直にその指摘を認めて、単一事例や少数事例による証明のやり方を止めることが考えられます。具体的に言えば、単一や少数ではなく、大量事例を分析することを通じて、ただし、それでは所詮有限ですから、統計的に処理することによって、数の問題を克服しようというわけです。

いわゆる定量分析タイプの研究がこれに該当します。マーケティング系でも一番スタンダードな形ですね。顧客の声を聞くと言うことと、製品開発の成功についてたくさんの企業からデータを集めて、統計的に因果関係が支持されるかどうかをチェックすると。支持されれば、まあとりあえず、顧客の声を聞いて製品開発をすることが大事だ、ということになります。  しかし、この方法は、単一事例や少数事例を止めてしまうと言うことですので、直接的な解決策ではありません。そこで、第一の方法から派生した第二の方法を提示しましょう。

第二の方法は、定量分析は後でやるということにして、今回は、定量分析の前段階の当たりをつけるための研究だったのだ、と主張する方法です。すなわち、探索的事例研究と呼ばれる議論のもっていき方がこれに当たります  探索的事例研究という方法は、しばしば利用されるうまい方法です。というのは、今回の主張が完璧ではないと言うことを認める代わりに、しかしまあ、今回の主張が当てはまる事例もいくつかあると言うことを示すとともに、後でちゃんと確かめますのでと言い訳しておくことができるからです。(実際に、後で定量調査をするかどうかは、ここではさておきましょう。)

こうして、ひとまず2つの方法を考えることができます。これらは、いずれも、定量分析の方が重要であると言うことを前提とした上で、そちらに直接移行するか、少し時間をずらして移行するか、ということを議論しています。その意味では、単一事例、少数事例による論文であったとしても、弱い主張しかできない論文だということにもなりそうです。

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以上の方法に対して、逆に開き直るという方法があります。すなわち、少なくともA社において当てはまるということ、これこそが大事なことなのだ。B社にあてはまるかどうか、そんなこと知らないし興味もないというわけです。

いい加減な話のように思うかもしれませんが、論文のタイプとしては極めてありうるものです。例えば、歴史研究を考えてみればいいでしょう。ある企業の歴史を調べる研究があったとすれば、そこには一般性なんて問題はありえません。その企業がどういう歴史をたどり、今に至っているのか。何に成功し、何に失敗してきたのか、なぜそうであったのか。それを丹念に追うことが重要なのであって、もちろんその発見は事実でなければなりませんが、しかし一般性という問題とは全く無縁です。

歴史研究と同様に、例えばエスノメソドロジーと言った方法もまた、同様の傾向があるように思います。一般性があるかどうか、正しいかどうかを一義に決めるというよりは、現場における意味の理解を問題とし、それにまつわる多様な理解そのものを正しさ自体としてとりまとめるというわけです。これらの議論は、もちろん主張そのものの正しさは重視するでしょうけれど、その正しさは、一般性という形では提示されないものだと考えます。

ということで、こうした議論のよりラディカルバージョンとして、歴史研究でもエスノメソドロジーでもなく、単なる事例研究のままで、B社を無視して議論を作るというやりかたもあります。

すなわち、第4の方法は、個別性こそが大事だと強く開き直る方法です。さすがにそれはないだろうと思うかもしれませんが、特定の研究領域、例えばまさに経営学、では、十分にあり得る方法です。

経営学では、競争戦略やマーケティングを取り扱います。そこでは、しばしば「差別化」が大事だと言われます。差別化とは、他社とは違うことをすると言うこと。なぜ差別化するかというと、他社と同じことをしていると、その他社に勝つことができなかったり、市場そのものが同質化して縮小してしまうと考えられているからです。

とすれば、経営学における論文の主張は、少なくとも他社に先駆けた何かでなければならないということになります。すなわち、一般性がなく、A社が初めて行い、それゆえにこそ成功することのできた事例を取り上げること、ここには経営学における論文としては価値があるということになるわけです。(理論の一般性をあまり考えていないという点で、現場志向に過ぎるという批判はありそうですね)

この主張は、実は、先の第二の方法としての探索的事例分析にもつながっています。なぜ、探索的事例分析が許されるのか、それは、その事例が革新的な事例であったり、現時点ではたくさんのサンプルを集めて統計処理することが難しいと考えられるからです。ようするに、探索的と言って切り抜けるか、開き直って強く個別性こそが重要なのだというかは、その人の気持ち一つ程度の問題だと言うことです。

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ここまで4つの方法を見てきました。最初の2つは、一般性がないということを認めた上で、たくさん事例を集め直すという方法と、たくさん事例を集める前段階の研究であるという方法。後の2つは、一般性が大事ではないと言うことを前提として、歴史やエスノを調べようという方法と、もっと開き直って、個別性こそが大事なのだと主張する方法でした。

最後に、もう一つ方法があります。それは、事例はおまけだという方法です。最初に、論文は何か主張をするものだと言いました。その上で、その主張の正しさを、事例を使って説明するのだと。しかし、このやり方は、主張の正しさを説明する方法の一つに過ぎません。

私は、ソクラテスは死ぬと思う。なぜならば、人は死ぬものであり、ソクラテスは人だからである。さて、この主張の正しさを証明するために、ソクラテスが実際に死んだか確かめよう。。。実直ですが、多分に蛇足でしょうね。

ようするに、単一事例や少数事例を用いる理由は、一般性を個別具体的に説明し、例示するためのツールだと考えるわけです。私の主張は論理的に証明されている。しかしまあ、論理というと抽象的でわかりにくいところもあるから、具体的な話で説明しなおしてみようか、というわけです。

この方法は、しかし、例として挙げられた事例を通じて、理論もまた再構成される契機を残しています。それは、論理的に正しいことが、そのまま現実において生じるわけではないからです。この点については、物質性に関わる議論が参考になるでしょう。私たちは、直線を現実に持つわけではない、その実現は、立方体を持ってしか接近できないわけですから。その限りにおいて、第5の方法は、思っているよりも奥深い可能性を持っていると、個人的には思っています。

ということで、書くのに飽きてきたので、このあたりで5つの方法をまとめて終わりにしましょう。  1.あきらめて大量に事例を集めて統計処理する  2.統計処理する前段階の、探索的事例分析だという  3.一般性とは無縁の歴史研究・エスノメソドロジーだという  4.個別性こそが重要なのだいう  5.これはおまけだという  なお、これはエッセイです。

 


2010年08月14日 | Posted in エッセイ | | No Comments » 

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