「マーケティングの神話」再考

[「問い続けること」と「問い直すこと」]

ネットにたくさんある書評にまぎれて、せっかくなので2012年に読み直しての感想をまとめておこうと思う。たぶん、この本は、「問い」の重要性を提示しているのであって、遠からず相対化されていく「答え」に重きを置いていない。この本の中に答えはなく、この本を読んだときに読んだ人の側で問いが始まり、その問いを通じて、僕たちはそれぞれに答えを得られる、かもしれない。得られない、かもしれない。本としては幸いなことに、こうした本の寿命は長いだろう。相対化されたり、陳腐化する心配がないからである。読み手はつらい(笑

だが思うのだが、同じ「問い」が与えられるといっても、「問い」には、何かを問い続けるという姿勢と、何を問い直すという二つの姿勢がある気がする。たぶん、より価値があるのは問い直すという姿勢ではないか、そんなことを改めて思った。

何かを問い続けるという姿勢は、もちろんすばらしいが、要するにそれは納得する答えが未だ一度も見つかったことがないという状態のように感じる。だから、はじめての答えを求めて問い続けるのであり、それは可能性でもあるが、同時に砂漠に一滴の水を探すがごとき苦難の道である。あるいは、「問い続けねばならない」というとき、万が一答えが得られてしまうと、もう問い続けることができなくなってしまうのだから、問い続ける目的としての発見は、常に実現できないという矛盾を抱えている。相対主義が絶対主義化するがごとき矛盾というかいいがかりは、『相対主義の極北』のように二重否定的に処理しても良いが、基本的に答えを直接的に否定しようとする際にはいつでも生じる問題のような気もする。

さて、むしろここで確認すべきなのは、問い続けることというよりは、問い直すという表現の価値であった。問い続けるという姿勢に比べると、問い直すという姿勢が意味しているのは、答えが与えられてしまった後の作業であるように思う。かりそめでもなんでも、答えが一度与えられ、一定の安定が得られている状況において、今一度その答えをめぐって問いを再開するというわけだ。こちらには問い続ける姿勢のような矛盾めいた悲壮感はない。ジャンプし、なんならまた同じ場所に戻ってきてもいい。

23.jpg 24.jpg 130283.jpg(こちらは底本:絶版)
[脱構築というのはこういうことかしら。]

そんなことを書きながら、そう言えば『マーケティングの神話』にもどこかで脱構築という言葉が使われていたことを思い出した。専門用語としてどういう意味があるのかはちょっと考えた方がいいだろうが、ざっくりいえば、一度構築され着地している状況から議論を始め、すでに着地しているという事実や答えを何らかの方法を使って今一度帳消しにするか曖昧にし、状況の不安定さを明らかにするといった感じだろう。これは問い直す姿勢にとても似ているように感じる。
問い続けるというよりは、問い直す、あるいは問い直し続けるという感じ。反復だろうか。同じところに着地し続けるという選択肢もあり得るし、時には、踏み外して別の選択しにたどり着くこともある。でも大事なことは着地のポイントではなく、問い直し続ける姿勢の方である。
問い続けるという姿勢が直線的でどこまでもどこまでもまっすぐ進んでいき、いつまでたっても答えに行き着けないのに対し、問い直すという姿勢は答えに行き着ける(かもしれない。無限ループに入るかもしれない)。この辺りを考えてみると、ちょっと違う議論もできるのかしらと思った2012年の6月末ごろでした。

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研究の思考]
こんなことを思ったのは、僕自身、人からの評価はどうであれ、去年ぐらいに一冊ようやく本を出すことができ、僭越ながら仮とはいえちょっと答えが出た感があったからかもしれない。次に必要なのは、これを問い直すステップであり、以降ようやく本格的な作業に入れる、かもしれないということになる。
そんなことを考えてみると、『マーケティングの神話』が提供する問い直すという姿勢は、その後様々な着地点を見出してきたように思う。当初の経験価値やポストモダンはその一つだったと思うが、その後の大きな着地点としては『ブランド』があった。ブランドだけがブランドの現実を説明できるというとき、そこには問い直すという姿勢をマーケティング活動そのものにも組み込んだ究極的な方法を提示することができた。だがそれとて、究極的で普遍的な答えというわけではなかったようだ。その後『営業が変わる』というもう少し具体的な答えも見出されることになるし、最近では『ビジネス・インサイト』や『マーケティング思考の可能性』のような教育実践と結びついた方法の提示にも発展している。問い直せば問い直すだけ答えが本として結実するというのはすごい。能力によるところが大きいのはいうまでもないでしょうけれど、問い直すという姿勢の設定も大きな役割を果たしている気がする。こちらは頑張れば真似できる、かもしれない。そういえば、この『マーケティングの神話』自体、2004年に文庫化されたのは一つの問い直しの結果だったとみることもできる。

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2012年08月14日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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