本質直観のメリット:新カテゴリを議論できる気がする

本質直観のメリット:新カテゴリを議論できる気がする

たとえば、「本質直観で本書いたら売れるんじゃないの?」と閃いてしまった場合を考えてみよう。なんとまあくだらない、それは無理(wと言ってしまう前に、少しまじめに考えてみようというわけである。

直観補強型思考の場合

このアイデアをみんなに聞いて回ることになるだろう。とりあえずお昼ご飯を庄屋で食べながら、そんな話もひとしきりしてみる。何それ?から始まって、なんか違和感あるね。。。で大体終わるのが関の山と言う気がする。研究会で話してみても、その時ぐらいは盛り上がるかもしれないが、まあ誰も「それだ!」とは言わない気がする。合理的にそう思っているというよりは、それこそ先に直観しており、その合理的な理由を後から足していくだけだろう(本当に直観されている理由は、たぶん語られることはない)。

もっとちゃんとしたアンケートでもしたらいいのかもしれない。「あなたはこの本を買いたいと思いますか?」でもいいし、もう少し丁寧に要素に分解してもいいのかもしれない。内容よりも、パッケージデザインや値段の問題かもしれない。ただ、だからといって、結果があたるようには思えない(とはいえ、この点について言えば、正直、情報がなさ過ぎるように感じる。現在、書籍がどのような形で購入されるのか、それは単にネットか書店かと言う話ではなく、具体的にどういう行動を経て実購買に至るのかについて、よくわかっていない。どこか書店で調査させてもらえないでしょうか。書店と組んで調べたい。)

直観検証型思考(本質直観)の場合

売れるんじゃない?と思ってしまったその確信を、金魚鉢で泳ぐ金魚を泳いでいるままそっと掬い上げるように(山口2012)、捉えなおしてみることになる。たぶん、売れるんじゃないかと思った理由は、1つにはわかりやすさだ。何なら読まなくても、大体内容がわかる(笑)。自分の経験としても、タイトルやカバーで何かしらを理解しているからこそ、手に取って購入すると言う気がする。

と思ったが、これであれば補強型でも対応できるかもしれない。この本を買うかどうか聞く際に、わかりやすさや読みやすさ、あるいはタイトルやカバーを重視するかどうかを聞けばよい。みんながそれが大事だと言えば、実際にそれが大事なのだろう。

いや、同じ問題でも、補強型の場合は見え方が変わってしまう気がする。相手が読みやすさが大事だと言ったところで、本当にそう思っているかどうか、実際にそうやっているかどうかはわからないからである。そう思っていても、買わない可能性や、あるいはそう思っていなくても買う可能性を排除できない。だからこそ、検証型では自分に問うのであった。むしろ、自分はどうだろう。自分が本を買うとき、まさに読まなくても大体内容がわかる本を買うだろうか。。。わからない本も買うが、わかる本も買う気がする。

検証型のメリット

この問い直しは、この本が「実際に」売れるかどうかを確かめようとしているのではなく、「売れる本」という類(のようなもの、カテゴリぐらいにしておこうか)をめぐって展開されている。我々がおそらく緩やかに共有している「売れる本」カテゴリを問いなおし、翻って、そのカテゴリにこの本が含まれるかどうかを確認しているのである。

カテゴリの問い直しという考え方は、補強型に比べて、大きく2つの点で決定的なメリットを有する。第一に、カテゴリは基本的に共有されているものであるから、問い直しの作業はさしあたり一人であるとしても、最初から共有の可能性に開かれている。それ以上に重要なこととして、第二に、カテゴリの問い直しは新しいカテゴリの創造を積極的に容認する。逆に、補強型では新しいカテゴリの創造は難しい。仮説の確認しか出来ないからである。いまだ存在しないカテゴリの可能性は、当のカテゴリが具現化していないこの世界ではありようがない。

売れる本とはこういうものであると言う認識を問いなおすことで、この本が売れるかどうかという静的で、実際的に失敗する理解ではなく、この本を売れるものにしていくという動的な、それこそ規則と行為、あるいはタイプとトークンという点から言えば、それぞれを区分しないと言う意味において動的な、パフォーマティブな観点を引き出すことが出来る。


2013年08月14日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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