おまえが言うな。いや、そんなことはないな、若ければ若いほど。

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いろいろな場で偉そうにしゃべってしまうとき、言い訳がてら、「僕が言うのもなんですが」と前置きをつけたくなる。この感覚は、おそらく自分のことがよくわかっている人ほど、よくあることに違いない。場合によっては、だから何も言えなくなってしまうということもある。

ネット上でも、「オマエモナー」は必殺の一言として機能する。その切り返しは、何かを言うということを封じ込める。何かを言う、特に偉そうに言ってみるということは、そのまま自分へと戻ってくる。

でも、考えてみれば、この問題はそんなに気にしなくても良いのかもしれない。若ければ若いほど。

もちろん、何かを言うということは、自分の立場を無視してはありえない。自分の立場を無視して何でも言える人はある意味幸せだが、少なくともここで対象にしたいのは、そういう人たちではない。自分の立場を隠してしまえる匿名の場も、あまり対象にはできない。むしろ、そういってしまうことを自分の立場ゆえに気にする人たちについてである。

自分の立場を気にしていても、偉そうに言ってしまっていいと思うのは、それがむしろ自分の立場に戻ってくるからである。だがこのとき、当の自分の立場とは、そんなに静的で固定されているわけではないということにこそ留意しなければならない。すなわち、偉そうな発話は、そう言えるようになりたいという願望であり、未来志向のパフォーマティヴな性格を持つと考えた方が良いのではないか。

若い頃に偉そうだった人たちは、全員とは言わないがやがて実際に偉くなっていく。その過程で、言動が立場に一致するようになる。たぶん、偉くなって、急に言動が変わるわけではない(そういう人はきっと嫌われる)。むしろ言動が先にあり、その言動に合うような形で人格はもとより、立場は形成されていく。

と、若いうちにもっと偉そうにしておけば良かったなと思う今日この頃(とはいえ、タクシーとかグリーン車とかビジネスクラスとか、昔から好きだったわけで、偉そうに、、、とよく言われたりもした気もするけれど、これもそういうことなのでは、とそれこそ言い訳がてら)


2016年12月01日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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