瑞々しいと水っぽい

朝ごはんを食べていて、子供が言うには、今日のイチゴはみずみずしいが、昨日のイチゴはみずの味しかしない。そもそも昨日どんなイチゴを食べたのかよく覚えていないけれど、「みずみずしい」と「みずのあじ」はどう違うのかなとふと思ったところ。聞いてみると、なんか美味しいものと、とにかくみずの味しかしないイチゴがあるとのこと。

そういえば、果物などで美味しくないものはみずっぽいと表現するわね、といったところにも及んだけれども、そんなものかなというところでタイムオーバー。学校に行く時間。

改めてネットで検索すると、みずっぽいはまさに水の味という感じだが、みずみずしいは瑞々しいと書いた方がいいらしい。うまい表現として、水っぽいは味覚の問題で、瑞々しいは視覚の問題と考えたら良いとのこと。なるほど、なんとなく対応関係はわかった気がする。美味しいか美味しくないかという次元ではないらしい。

とはいえ個人的には、みずみずしいも水々しいにしてしまってもいい気もする。どちらも食べ物に用いられることが多い表現でもある。もっといえば、水もまた、薬にもなれば毒にもなる的な表現の方が好きな感じ。

子供がこういう両義性やバランスのようなものを理解できるのかどうかは知らない。ただ、どちらかがさがほのかで、どちらかはとちおとめだと言っていた。同じイチゴにもブランドの違いがある?ことはわかっているらしい。


2018年04月09日 | Posted in エッセイ | | No Comments » 

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