解釈が大事だと言う場合

先日渡辺さんと話題になったのですが、改めて少し備忘録がてらと思った次第です。
このテーマにはいくつかのバージョンが考えられますが、とりあえずイノベーションをテーマにしてみます。

イノベーションでは、何か新しいことが生まれます。そのためには、何かしら新しい資源が大事になります。この時、例えばどこかから新しい資源を持ってくることがイノベーションに直結すると考えられるわけですが、とはいえ、既存の資源を使っても、イノベーションが可能かもしれません。既存の資源を新たに解釈することこそが、イノベーションであるということになります。おそらく、外的な理由を用いずにイノベーションを説明しようとする場合には、こういった視点が注目されるのだと思います。

一方で資源を置き、一方でその解釈を置く。そしてその解釈の多様性を解くことでそれこそがイノベーションであるとする。資源をどこかから持ってこなくてもいいという点で良いアイデアですが、いくつかの問題があります。第一に、一般的な問題として、現状でイノベーション=解釈の変更ができないから困っているのであって、要するに解釈は多様でもなければましてや無限なわけでもないという当たり前の事実を無視しています。そして第二に、その自由のなさを説明しようとした途端に、当の解釈を可能にしている別な資源の存在を仮定しなくてはならなくなります。結局、資源の変更ではなく、解釈の変更がイノベーションであると言ったはずなのに、その解釈の変更を可能にする資源にまた注目しなくてはならなくなってしまいます。

いくつかの解決方法はあるのだと思いますが、例えば、解釈を支えている資源を徹底的に分解してしまうことは可能です。この場合は、資源も解釈も一枚岩ではないのだから、その徹底的な理解が大事だという形で根拠づけられるかもしれません。あるいは、資源と解釈を分けてしまうのではなく、(というのも、分けてしまうから問題が生じるわけですので)、両者が分かち難く結びついている局面、それから時に別れる局面を捉えるという手もあります。この二つは多分同時に示されることが多いように思います。

資源に対して解釈の自由度を解く主張は、どこまで徹底していけるかが問われそうだという次第でした。


2019年04月15日 | Posted in エッセイ | | No Comments » 

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