中居君退所の雑感

2020年2月21日、元SMAPの中居君がジャニーズを退所するということで話題になりました。そういえばと思ったことなど少々。

すでにいろいろと話題はあり、元々は3年前のSMAP解散の経緯から、似た話は既出でした。その関連話もありますし、あるいは、今回の会見にフォーカスを当て、昨今の会見報道と重ねながら司会者としての能力を評価する向きもあります。よく練られた会見だったのかもしれません。

そんな中思ったのは、中居君が47歳だったということでした。その意味では「君づけ」というよりは「さんづけ」すべきなのですが、自分と比べると5歳ぐらい先輩な訳ですね。昔は随分と上の方だと思っていたのですが、40超えてしまえば、今や、そんなにすごい年齢が違うわけではないのだなと。その上で、5年後に同じような会見を自分ができるかと言われると(そういう機会はないですが)、難しいだろうなと思った次第でした。

遡れば、僕が中居君を随分と上の方だなと思っていた頃、ようするに中学生とか高校生の頃、彼をすごい人だなと思ったことはたぶんありませんでした。正確にいえば、SMAP自体がそうだったと思います。ところが、今回の会見を含め、このところは逆に平均よりもずっと高く評価していたことに気付きました。見る目がなかったということもありますが、個人的には、それ以上に彼ら自身が成長したのだろうと考えたいです。

人は成長するもの。この当たり前の考え方は、とはいえ、それほど徹底されているわけではありません。たとえば、大学生になるぐらいまでは、人は物理的に成長し、それ故に成長することがわかりやすいです。しかしそれ以降、歳を取れば取るほど、人は成長しないようにも見えてしまう。見た目などは退化しているようにすら感じてしまう。明らかにこれは間違った錯覚なわけで、むしろ歳を取れば取るほど人は成長すると思ったほうがいい。その限りでは、中居君は当初はそれほどではなかったけれど、今やとても成長し、あの会見を行えるまでの能力を獲得するに至った、といってもいいように思います。

こういうと、能力の種のようなものがあったのではと考えるかもしれません。素質が必要だというわけです。そうかもしれないですし、そうではないかもしれません。その後の城島君のエピソードとして、中居君は10代の頃から気配りができて、ネタ帳をがんばって作っていたともされます。それはきっと素質でしょう。一方で、海外では大規模な双子の追跡研究があり、こちらはむしろ後天的な環境の方が影響があるといえそうな気はします。いずれにせよ、素質を強く仮定してしまうと、その後の成長の可能性がひどく限られてしまうことになりますので、個人的にはあまり認めたくはないところです。そもそも、かつて僕が彼らをあまり評価していなかったのは、そうした典型的な素質だけを見ており、つまり天性のかっこよさだけに目を奪われていたからだともいえそうです。

人は成長するもの。この発想は、『マーケティングの神話』のアイデアでもありました。この本では、島田紳介さんの話が出てきます。彼がツッパリ漫才をしていた頃、のちに彼が政治関連の番組の司会を務めるようになることなど、きっと想像した人はいなかったであろうというわけです。これは個人を一種のブランドと見立て、その予測不可能性と変容可能性を示した例でありましたが、これも同じように、彼だけにはその可能性が内包されていたのだと思うよりは、彼にもその可能性が内包されていたと思う方がマネジメントの意味が大きくなります。実際、吉本は彼のマネジャーに政治に詳しい人を当て、タクシーの移動中に詳細な説明するといった手配をしたといいます。

士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし。呂蒙の言葉だとされますが、改めてそういうことはあるなと思った次第でした。もう少しがんばります。そして、いつかまたSMAPが復活する日を心待ちにしています。


2020年02月23日 | Posted in エッセイ | | No Comments » 

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