社会人院生の方はレビュー論文を書くのが難しい件


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先に中居君の話をして、人は変われるものだよといっておきながらなんですが、逆かもしれない話を一つ。

先日、浜野さんにレビュー論文書いた方がいいですかねと聞かれて、いやーそうですけどなかなか難しいですからねという話をしました。言うまでもなく、論文を書いていく上でレビューをすること、すなわち先行研究を確認し、まとめ、議論の道筋をつけることはとても重要な作業です。一般の院生であれば、この作業を修士論文の過程で行い、遠からずレビュー論文(分野によってはシステマチックレビュー?)として何かしら公刊するでしょう。それは博士論文作成の一過程です。

とはいえ、経営学分野でよくお会いすることになる社会人の博士課程の方々にとっては、このレビュー論文作成は並大抵の作業ではありません。たぶん、大半の方は無理だろうと思います。いろいろ理由はあろうかと思いますが、いくつか仮説を思いついたのでまとめておこうかと。

・仮説1 年齢を取れば取るほど、レビュー論文を書くことは難しくなる。

もっとも基本的なアイデアはこれでした。一般の院生の方がレビュー論文を書けるのは、一般の院生の方が基本的に若いからです。逆に、社会人の方の多くは、年齢が進んでいます。経験的に見て、分岐点は30−40歳でしょうか。これを超えてしまうと、レビュー論文の作成はとても困難になります。おそらくその理由は、第一に時間ですが、それ以上に第二の点として、論文をちまちま読まずとも、議論の方向性や答えがわかるようになるからです。答えがわかっていることを、改めて調べたりまとめることはとても辛い作業です。論文を全部読まずとも結論がわかるとすれば、当の論文の全体像を記述しまとめる必要はありません。

このことから、もう少し進んだ仮説を考えることができます。すなわち、レビュー論文を書けるかどうかは、その人の知識や経験に依存しているということです。年齢に限らず、レビュー論文を書ける人と書けない人がいるでしょう。それはその人の知識や経験の問題です。しかも、一般的な想定とは異なり、知識や経験がある場合には、レビューが不要だと言うことになります。もちろん、知識や経験がゼロだとそれ以前の問題となりますが。

・仮説2 知識や経験が高ければ高いほど、レビュー論文を書くことは難しくなる。

ちなみに、一度レビュー論文を書く経験を経ると、その後は、どんなに歳をとっても、どんなに知識や経験が高くなっても、ある程度レビュー論文を書き続けることができます。これは、レビュー論文を書くコツを獲得するということでもあります。すなわち、無になることです。無駄に知識や経験を動員せず、ただただ愚直に論文を読み、相手に依存して素直にまとめ上げてあげること。このコツを身につけることが、その後の論文作成にあたっては重要な能力となります。したがって、今回の仮説は、初回のレビュー論文作成に関しての議論だと思った方がより正確です。

最後に、以上の仮説を元にもう一つ、社会人院生がレビュー論文を書くことが難しい理由を定めることができます。それは、上記の理由を社会人院生に当てはめるためだけのものでもあります。

・仮説3 社会人院生は、知識や経験が高い人が多い(そして年齢も高い)

最後の仮説は決定的であるようにも思います。大学院に来て勉強しよう、研究しようと思われている方、特に博士にまで来て頑張ろうと言う方は、そもそも優秀な方が多いわけです。しかしその優秀さが、レビュー論文を書くことを難しくしています。

だからどうしたらいいのか。一つは、レビュー論文は諦めて、その後の分析で勝負と言う手もあるでしょう。しかしやはりレビューがなければ問題設定や仮説が作れないとすれば、何か手を考える必要があります。次のアイデアは、先に挙げた無になり、相手に依存することを意識することです。どうしてレビュー論文が書けないのかは、なんとなくはわかっていても、はっきりとした答えが見えにくいものです。そこで、以前にも書きましたが、我々日本人や非英語圏の人間には、翻訳という作業を利用できます。それは意外と無になる瞬間です。そしてその結果、レビュー 論文が進められることになります。最後に三つ目として、この作業を一人で行うのではなく、複数名で行うという手があるように思います。これは、人数が集まることで調整の手間が増え、知識や経験が相対的に減少するような気がします。

などなど。


2020年02月23日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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