COVID-19に関する個人的な雑感

なかなか収束の目処が立たないCOVID-19。第二波、あるいは世界的な第三波のような状況を見ていると、やっぱり根絶のような方向性は難しそうで、基本的には行ったり来たりに慣れていくしかないのだろうなという今日この頃です。ワクチンができればまた違うのかもしれませんが、出来たところで根絶するというわけでもないのでしょう。

そんな中、不安とともに日々思うのは以下のようなことです。根絶は無理なので慣れていくしかないとして、私たちは、これからずっと、マスクをつけた日常生活をおくらなければならないのだろうか。私たちは、これからずっと、オンラインで授業をしなければならないのだろうか。私たちは、これからずっと、何万人も収容できるスポーツやライブを体験することができなくなるのだろうかということです。個人的には、それは嫌なので(ビール片手に大相撲を見たいし、野球も見たい)、そこまでにはならないだろうと期待しながら、少し感じていたことなどを備忘録がてら。

COVID-19が流行り始めた頃、実は、ある種のデジャヴのように思い出していたことがありました。それはスペイン風邪やインフルエンザの過去の流行でもなければ、感染列島のような映画でもありません。何かというと、自分の子供が保育園に行くようになった頃、子供に風邪をうつされるようになった、ということでした。子供に風邪をうつされるという話は、諸先輩方からもよく聞かされていたことであり、子供は鼻水が出ているぐらいなのに、親がかかるとびっくりするぐらい重症化すると聞かされていました。経験するまでは、あーそういうこともありますよね、的な遠い世界の話だと思っていたのですが、いざ、自分がその身になってみたとき、これは本当に危ないかもと思った次第でした。

子供に風邪をうつされるようになる前、僕自身はあまり風邪をひかなくなっていました。喉が痛くなったり、鼻水が出たり、咳が出たり、ちょっと熱が出たり、インフルエンザにかかったり、そういうことはもちろんありましたが、重篤化すると言いますか、寝込んでしまうとか、仕事が全く出来なくなるようなことは、あまりなかったように思います。大人になるにつれ丈夫になるということもあるでしょうし、それ以上に、一般的な風邪の多くに慣れてきていたということだったのではと思います。

にも関わらず、子供には風邪をいとも簡単にうつされる。しかも結構辛いレベルになる。何故なのだと思っていたことを、今回、デジャヴのように思い出していたのです。

当時思っていたのは、僕自身が長らく風邪と縁が遠くなっていたことから、風邪に対する耐性一般のようなものが弱くなっているのかなということでした。そしてもう一つ、子供がかかっている風邪というのは、今の子供において流行っている風邪であり、僕にとっては、未知に近いような風邪なのではということでした。だからこの手の風邪は、一緒に生活していれば、極めて容易に感染してしまう。

だんだんと用心するようにもなり、子供が鼻水が出てきたときには気をつけて自分も手を洗うようにしたり、うがい薬を日常的に飲んでみるようなこともしました。さすがにマスクをつけて生活はしませんでしたが、なんとなく、今の日常に近くなったような気もします。そして重要なこととして、時間が経つにつれ、子供に風邪をうつされることも少なくなりました。

最大の理由ははっきりしています。子供がそもそも風邪をひかなくなってきた、ということです。うつされる可能性がぐっと下がりました。子供が強くなったということともに、子供にとってはほぼ初出だった風邪に対して、かかっているうちに自身が免疫を持つようになったからでしょう。それからもしかすると、僕自身も、子供が風邪をひいたとしても、かつてほどうつらなくなった、あるいはひどくならなくなったような気もします。子供のかかる風邪に対し、僕自身も慣れてきたということかもしれません。いずれにせよ、最初の理由は、今も同様に言われるように、集団免疫のようなものでしょう。子供にとっては、COVID-19に限らず、多くの風邪は未知であり、新手だ(そして、もしかすると僕にとっても)ということです。

COVID-19が今後とも一定の範囲で続くとして、現状の感染力の強さからして、しばらくは断続的にマスクをしたり、外出自粛をしたり、対面を諦めた方が良いのだろうと思います。抗体ができにくいような話も聞きますし、なんにせよ、ゆっくりと慣れていった方が問題も起きにくそうです。しかしそれでも、徐々に慣れていくということがあるとすれば、遠からずマスクは不要になったり、気にせず外出しても良くなったり、対面授業もできるようになったり、国技館で飲食しながら大相撲も見れるようになると思っています(もちろん、その必要があるのかというそもそもの問い直しがどうなるのかにもよりますし、いつそうなるのかはよくわかりませんが)。

ちなみに、話は全く変わりますが、今回の話を書いたある意味真の理由は、「デジャヴ」という表現を無理やりでも使ってみたかったからです。最近郡司先生の新刊『やってくる』を読みまして(笑)。。。COVID-19も突然やってきてしまうわけですが、元来、いろいろなものがやってきてしまうわけですね。個人的には、ときどき郡司先生自体がやってきてしまうわけで、、、あの昔の神戸大の研究室が衝撃的で、あれは冒頭の話の部屋みたいな感じだったのでは、、とそれこそ既視感に襲われて、あそこ変な虫とか霊がいて、あの時取り憑かれたのでは、、などと思ってしまった次第でした(もちろん、一向に構わないわけですよ。やってくる、というのはそういうことでしょうから)。


2020年08月23日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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