リーマンショックとコロナショック

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2021年になり、依然として終わりをみせない新型コロナウイルス流行。去年の緊急事態宣言のころは、まあ夏になれば・・的に思っていて、その後も、まあ来年になれば・・と思っていたわけですが、まだまだ長期戦の様相です。

去年の3月ぐらいに、雑感がてら恐慌との関係を書きました。金融恐慌としてのリーマンショックに対し、その前の産業恐慌としての世界恐慌の方が、今と状況は似ているかもという話でした。合わせて、だとすれば対応はニューディール政策よろしく、新しいマーケティングシステムとしては応援消費のようなものが一つありそうということでした。

産業恐慌としてのコロナ?

後者の現象については、だいたいあっていたような気はします。応援消費はより一般化し、寄付や贈与ではなく、交換を組み込んだ新しい社会のメカニズムが良くも悪くも急成長しています。go toなんちゃらはその際たるものであり(ちなみに、これは日本に限らず、世界的な現象です)、経済を回すことこそが、支援そのものであるとみなされるようになっています。こうした傾向は長期的な潮流ではありましたが、この一年で一気に加速した感はあります。世界は、もちろん日本も含め、新しい段階にすでに入りました。

これから先どのような社会が見えてくるのかわかりませんが、改めてリーマンショックとの関係で考えると、一つには前回以上の格差の拡大が懸念されます。この点は、世界恐慌とも異なっているのかもしれません(知らないだけですが)。

リーマンショックが起きた当時、正直僕自身は目にみえた影響を感じませんでした。もちろん給料は下がりましたし、いくつか持っていた株はドーンと下がりましたが、まあぎりぎりぐらいです。これは金融恐慌の特徴であり、おそらく最も影響を受けたのは、金融に関わり、かつ資産を持っていた富裕層だったと思います。比喩的に言うと、リーマンショックでは、全体に対し一律的に影響が及んだ、あるいは累進的に富裕層ほど被害を受けたという感じでしょうか。

これに対し、今回は我々への直接的な影響は大きいです。給料はもちろん減り、外出もできなくなり、周りのお店はどんどん閉店しているようにみえます。産業恐慌として実経済の方から止まっていくとすれば、日常生活に影響が及ぶわけです。にもかかわらず、金融市場は堅調どころか好調であり、去年よりも株価は高くなっています(これも日本の話ではなく、世界的な傾向です)。全体に対して一定額の影響が及んでいるといった感じであり、結果的に一般層の方が相対的に大きな打撃を受けており(といっても、その程度はリーマンショックと同等ぐらいかもしれません)、富裕層にはむしろ投資の好機が訪れています(この点がリーマンショックと違う)。不動産の価格もほとんど影響を受けておらず、それだけ大きな需要が存在しているようにも感じます。

これに合わせ、交換にもとづく支援は、再配分ではなく利潤の獲得運動であり、おそらく格差の拡大を拡げます。応援消費にしても、市場原理を応用しているため、お互いに参加しやすくドライブがかかりやすい一方で、参加の原資をより多く持つ人々により大きな恩恵を与え、原資を持たない人々には少ない恩恵しか与えないとともに、参加がそもそも困難な人々を完全に排除してしまいます。そもそも旅行に行けない人、そもそも税金を納められない人、あるいはこうした仕組みが今日当たり前のように必要としているIT環境を得意としない人。こうした人々は交換の中に入ることができません。この辺りの問題は、それこそ今回のコロナ問題が無事に落ち着きをみせてきた後、顕在化してきそうです。(そして、こうした問題の解決が次の交換の対象となる。)

そういえば、リーマンショックの頃(正確にはその前)に格差問題が話題となり、論文を書いたことを思い出しました。

消費行為における見えない格差が作り出す格差

専門でもなかったため苦労して書いた記憶がありますが、その後の展開でいえば、格差は見えないものではなく、過剰に見えるものとして現れることによって、今日的な格差の問題につながっていくわけでした。当時見落としていたのは、言うまでもないのですが、ソーシャルメディアの存在です。格差は固定的で安定的だった時代から、潜在化して不安を煽る時代を経て、逆に顕在化して炎上する時代になりました。あるいは、見られていた時代や見る時代を経て、見られていないかもしれない時代、そして見えすぎる時代へ。今ならば、コロナ問題も踏まえて、もう少し何か書けるような気もします。

いろいろテーマつながってきますね。。。


2021年01月15日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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