白鵬

NHKで引退後の特集をしていました。とてもよかったです。だいたい僕自身が感じてきたことを追認したという感じ。横綱を14年も続けるのは並大抵なことではないはずで、その中での迷いや変化があるのが当たり前のこと。いつも思うのだけど、人の心やアイデンティティというものはそんなに定まっているわけではなく、子供の頃はもちろん、大人になってもゆらゆらしている(だからこそ逆に、自分(の意見)をしっかり持てとか、教育され訓練されるのだろう)。

われらが北の富士親方がインタビューで答えていた通り、2011年ごろの大相撲の不祥事に際して頑張っていたのは白鵬だったことは間違いない(当時は横綱もそもそも一人しかいなかった)。その努力が自身の問い直しの対象になっていったと思う。

特に稀勢の里が台頭し始めて以降は、世間の期待に沿う形でヒール役に回ろうとしているようにも見えた。それ自体が強さの証でもあったとすれば、それでいいじゃないかという気持ちもあっただろう。正義超人が闇落ちするというと言い方は悪いが、その論理は誰でも共感できるだろうし、実際にそうだったとすれば、その理由はわれわれである。

最後の名古屋場所の正代戦は、本当に驚きだったし、北の富士親方をして白鵬には愛想が尽きたと言わしめた。

ーーーー
私は、今までは白鵬の理解者と自負してきたが、この日を限りでやめることにした。人が何と批判しても、彼の相撲界に尽くした貢献度は、今まで3人いる一代年寄よりはるかに上と思ってきた。時には非常識な言動で問題を起こしても、文化の違いを理由に大目に見てきたが、この相撲ばかりは理解できないし、愛想が尽きた。
(「北の富士コラム」中日新聞2021年7月18日。)
ーーーー

番組では、この辺りもフォローしていて良かったと思う。正代には勝てないと思ったという白鵬の言葉は正直なところで、それ以上でもそれ以下でもない。最後の優勝を貴乃花の優勝と重ねるのはちょっと前振りからの作り込みが過ぎるようにも感じたが、確かにそうみてもいいのかもしれない。どちらかというと、貴乃花の優勝は、小泉首相に引っ張られた感はある。

なんにせよ、親方になり、日本橋に部屋を持つという話もあり、見かける機会も増えればちょっとうれしいです。以前、北の湖親方が部屋から国技館へ歩いていくのをみた気がする。

あと若干気になったのは、インタビューに答えていた稀勢の里である。ラオウが好きといった面白さはあまり感じられず、また、マスターっぽい話も聞けなかった。そのあたりは改めてみてみたい。桑田真澄と稀勢の里の修士論文を読んでみたいとずっと思ってます。よろしくお願いします。

早稲田大学スポーツ科学学術院


2021年10月17日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

関連記事