レポートを書く能力

コロナ禍になり、授業の課題が増えたと聞きます。オンラインに授業全体が移行する中で、オンラインであれば課題を出しやすくなったということだと思います。私自身も課題を出すタイプで、とはいえそれは随分と前から、もう10年ぐらいはこの感じです。

課題はシンプルなもので、毎週教科書を予習して自分で調べ、400字ぐらいのレポートを提出してくださいというものです。最近はいよいよネットの時代ですので、教科書のキーワードで検索すれば、ほとんどコピペで書けてしまいます。それで問題はないわけです。

毎週100とか200とかのレポートを見ていると、あーこれは面白いなとか、なるほどなと思うものが1割はないぐらいで、いくつかあります。それをベースに当日の授業を考えるわけですが、その手のレポートは、特定の人たちによって書かれていることがわかります。ようするに、毎回ランダムに面白いレポートが出てくるのではなく、面白いレポートを書く人は、数人でほぼ固定されているということです。

真面目にレポートに取り組んでいるかどうかということはもちろんながら、文章のうまさであったり、あるいは着眼点の良さであるように思います。それは単に変わったことを書いているとか、人とは違うことを書いているということではなく、自然と読まされてしまう感じがあったり、逆に引っ掛かりがあったりする感じです。たぶん、レポート1回でもこの違いはわかりますが、10回続けば、その方の才能はよくわかります。これらは過去の積み重ねでしょう。

ネット上の良い記事を選ぶというリテラシーの問題もありそうです。例えば、「マーケティングでこれは!と思う事例を紹介、分析してください」という簡単な例でも、良いレポートと普通のレポートは明確に分かれます。普通のレポートが大半ですが、定番に過ぎたり、逆に小さ過ぎて伝わらないものだったり、単にウェブ上のステマ記事(のようなもの)を書いていたり。

あるいは、単に私の興味志向と似ている人というだけのことかもしれません。ただ、興味深いのは、こうした面白いレポートを書く人は、必ずしもマーケティングのゼミを志望するわけでもありません。というよりも、多数は違うところを選ぶようです。とすれば、やはり一般的な能力の高さを示しているようにも思います。

この手の方々がどういう過程を経てその能力を獲得するに至ったのかは知りたいところです。一度獲得されれば、書けば書くほど、レポートを出せば出すほど、その能力は伸びていくのでしょう。


2022年04月04日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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