学校の勉強は将来の役には立たないということ

よく議論になるような気もするこのテーマ。難しい数式を習っている時など、これ、なんの役に立つの?就職して使うことあるの?と、誰でも一度や二度は思ったことはありそうです。大学に行っても同じことで、これ役に立つのかな?と思って履修を選ぶこともあるでしょうし、逆に、実学たる経営学はその辺りでちょっと人気があるかもしれません。

学校の勉強が将来の役に立つのかどうかは知りませんが、学校の勉強は、職業そのものではなく、というかむしろ逆に、職業の自由と結びついています。苅谷先生のどの本だったか、昔読んだ本がとても印象に残っていまして、そういうことかなと。

例えば士農工商のような時代であれば、農民の子は農民であり、商人の子は商人と決まっていました。この時代の教育は、したがって極めてわかりやすく、農民の子は最初から農業だけを学べばよく、商人の子は、最初から商業だけを学べばよかったわけです。もちろん、昔はそこまで教育の体系が整っているわけではないでしょうから、親や近所の人から経験的に学ぶだけだったかもしれませんが、それでも、何が将来の役に立つのかは明確だったはずです。

これに対して、職業の自由が認められるようになると、何を学ぶ必要があるのかは、事前には分からなくなります。親の職業を継ぐ必要もないので、近くの人から教わればいいというわけにもいかなくなります。結果として、職業を決めることになるその直前まで、いわゆるジェネリックスキルや一般教養が重要になり、まさに数学や社会など、必ずしも自身の将来にとって必要かどうかわからないものも学ぶことが、逆に必要になってきます。

学校の勉強が、その多くは将来の役に立たないのは、職業の自由があるということと裏腹です。逆に言えば、職業が決まっている人は、学校のジェネラルな勉強は必要ありません。高卒で働くといった場合には、(望むにせよ望まないにせよ)就職が決まったから学校に行く必要がなくなったということです。大学でも内定が出てしまえば、学校で学ぶ必要は少なくなるでしょう。内定後に会社の研修プログラムに組み込まれ始めるのも、至極当然と言えば当然です。それから子供に自分の後を継がせたいという場合も、むしろジェネラルに学んでもらっては困ります。

これ将来の役に立つのかな?という問いには、もちろんゲーミフィケーション的に、これこれの役に立つよと言って動機づけることも必要です。と同時に、役に立つかどうかわからないことを学べるということについて、その意義を説明することもまた大事です。職業の自由がない時代よりも、ある時代の方が良い時代であると、個人的には思います。学ぶことは本来的に無駄であっていいはずで、自由であっていいはずで、何かのためにという論法から離れられる術であるべきです。


2022年05月31日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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