AIBOの「治療」を考える



つらつら新年の記事を眺めていて、みつけたのがこれ⬇

製造元に捨てられたロボット犬「AIBO」。”治療”にあたる元エンジニア集団

これは興味深い。年末ボケが吹き飛ぶ勢い(笑。ということで、少し書きながらアイデアを考え直してみることにします。

記事のベースになっているのは、1999年に発売され、2006年に発売が終了したSONYのAIBO。販売が終了しても、しばらくの間は修理部品を補完しておく必要があるわけですが、この期間も2014年3月に終了したということで、修理窓口「AIBOクリニック」もなくなったとのこと。これだけであれば、他の製品でもありそうな話ですが、ペットでもあったAIBOだけに、もう少し話がややこしい。

既存のユーザーとしては、ペットとしてAIBOに期待するものは、死なないこと。にもかかわらず、故障し、動かなくなってしまうのは正直意外。その保証がなくなってしまうことは、ユーザーの心情としては確かに受け入れ難いかもしれない。さらに、そうした心情をくむようにして、A・FUNという元ソニーの方の会社が修理を請け負うようになり、注目を集めているということ。

興味深く感じるポイントは大きく3つ。第一に、こうした生命に関わるようなハイテク商品が背負うことになる旧来とは少し異なるようにみえる倫理的問題。確かに、iphoneやlexusもまた製造者責任的なものは背負うであろうし、販売終了後、部品保管期間終了後も、ユーザーが残り続けるであろうことは想像に難くありません。けれども、AIBOのような心情を引き起こすのかどうかといわれると、ちょっとよくわからない。技術と倫理というテーマを考えれば、一つのトピックに違いない。(倫理というと、どちらかというと広告であったり、エコ系の話を想像しがちなのですが、たぶん、技術の問題を考えた方が広がりがある)。

第二に、ユーザー側の心情は、なお考察に値する。機械に感情移入するとはどういうことなのか。さらにこの問題は、企業側のマーケティング施策にも影響を及ぼします。AIBOが登場した当時、日本ではある程度売れたものの、アメリカでは必ずしもヒットしませんでした。そこでソニーは、商品のリ・ポジショニングを考えます。この際の議論のテーマは、一つには、機械に感情移入する日本人という性格であり、それとは異なるアメリカ人にもAIBOは受け入れられるのかどうか、ということが問題になりました。さらにこの問題は、そもそも、なぜSONYはAIBOなるものを開発したのか、というより上位の戦略にも関わることになります。このあたりはハーバードのケーススタディで議論されるハイテク・マーケティングの定番。

Sony AIBO: The World’s First Entertainment Robot

そして最後に第三として、そうしたユーザーの心情に対応し、新しいサービスが生まれているという現実。例えば、Abandoned brandの事例として良く知られるApple Newtonの場合、ユーザーによる再開発・再販売の希望はかなえられないまま、結局ユーザーの自発的な開発行動にとどまりました。それ自体、確かにユーザー・イノベーションであったり、ユーザー・コミュニティであったともいえますが、今回の場合はそれとも少し異なります。ハイテク=ユーザーにはその原理がわかりずらく、同時に、倫理的な問題に関わる?からというべきなのか、あるいは、もう少し別の説明の仕方ができるのか。

もう少し考えられそうな気もしますが、ひとまず思いついたところまで。アマゾンでマーケティング倫理やハイテク・マーケティングで検索してみたのですが、日本語の本ないんですかね。。。


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