フィリップ・コトラー「資本主義に希望はある」?


フィリップ・コトラー『資本主義に希望はある―――私たちが直視すべき14の課題』、ダイヤモンド社、2015。 

コトラーといえばマーケティング。マーケティングといえばコトラー。それなりにマーケティングを勉強したことがある人ならば、一度は聞いた名前だろう。いろいろ言い方はあるけれど、本書での紹介を借りれば「近代マーケティングの父」である。

マーケティングが専門とはいえ、大御所にもなればいろいろと社会や経済全体に向けて一言もあるだろう。本書のタイトルは壮大である。「資本主義に希望はある 私たちが直視すべき14の課題」、英語の主題はConfronting Capitalismで少し違うが、一体全体どういう話なのか、コトラーを知っていればいるほど気になる。どんな希望があるのだろう。そして、14の課題とは?

冒頭の一文は、マーケティングに詳しい人であればあるほど刺激的に違いない。「…マーケティングは市場の輪郭を決め、市場に強い影響を与える。これまでの経済学者は、マーケティングのそのような役割と力を見逃してきたと私は思う。マーケティングは資本主義社会の根底をなす概念の一つなのだ(12頁)」。期待は高まる。

だが、結論を先取りしてしまえば、この後は正直なところ冴えない。最初に取り上げられる課題は、貧困問題である。確かに、今日の資本主義にとって、貧困問題は極めて重要なテーマとなっている。それは確かなのだが、だからこそ、マーケティング研究者であれば、貧困問題に対しての定番的なアプローチの視座がいくつもある。例えば、第二次世界大戦より前には、すでに「新たな市場」としての貧困者層が語られてきた。また、その昔を知らずとも、社会の変革を目指すソーシャル・マーケティングといえば、そもそもコトラー自身によって先導されてきた経緯もある。

こうした読み手の期待をあえて無視するかのように、マーケティングは語られない。そして貧困問題の最後の頁で、「ソーシャル・マーケティングの手法を使うべきだ(48頁)。」と唐突に語られる。だが、それがなんであり、どういう解決が可能なのかは示されないままである。後段にもっと大きな答えがあるのだろうか。

次に出てくるのは、格差の問題であり、日本でも話題になったピケティが登場する。コトラーの立場は、基本的にピケティ支持のようだ。それ自体はもちろん悪くないのだが、やはり最後になって次のように語られる。「本当の難題は、スーパーリッチ層がより高い税金を払えば、一般大衆だけではなく彼ら自身にとってもメリットが生まれると納得させることだ(95頁)」。そのとおりである。そしてそのために、ソーシャル・メディアの手法を使うべきだということになるのだろう。けれども、一体全体、それはなんであり、どうやって行われるのだろう。貧困の時と同じ疑問だけが残る。もう少し次に続くのだろうか。

 

この後、労働者は搾取され、機械によって仕事が奪われていくことが語られる。大事な問題だが、やはり課題はあっても答えがない。まだ10個も話題があるのだから…とは思いながらも、段々と不安が大きくなる。機械のところで肩すかしだったのは、「ここで我々にとって問題なのは、そうした(機械が仕事をするようになった)リテールの店舗で働いていた人々はどうなるのかという点だ(125-126頁)」という一文だった。「いう点だ」が、ちょうど頁をめくったところにまたがって書かれているため、予想の裏切られ感が半端ではない。この一文で予想するのは、あるいは期待を持つからこそここで予想したのは、少なくとも資本主義の希望やマーケティングとして議論する以上、ここでの問題は、機械によって仕事を追い出された人がどうなるのかという当たり前の話「ではない」、という主張だった。ここでは、もっと考えるべき重要な問題があるのだと、言って欲しかった。

5つ目の課題は誰が社会的費用を払うのかと題され、冒頭では、外部経済とコモンズの悲劇、そして独占問題が指摘される。ついに本題に入ったのかもしれない。資本主義、あるいはマーケティングの本丸であるともいえる。マーケティングとは、そもそも、独占資本段階における寡占的製造業者による…という懐かしい一文が頭のなかをよぎっているうちに、早々とこの章は終りを迎える。144−156頁、わずか10頁そこそこしかない(笑)。先の所得の問題が50−96頁もあるのに。14つあるという課題も、どうも大きさが違うようだ。その上、その大きさは、こちらの期待度(課題度)とは少し異なっているのかもしれない。あるいは、日本訳の際に削られたのかもしれない。

ほぼ力尽きたので流して読みはじめる。利己心の是非では、「私の別の著書『コトラー 8つの成長戦略』、(220頁)」が紹介され、「CSRの利用法」が語られている。私の翻訳本でもあるので、これはこれでぜひご覧頂きたい。多分、資本主義の問題はそれほど語られていない。

  

一気に流れて、ついに12個めの課題「マーケティングの功と罪」が語られる。まさかの大ドンデン返しがみられるのかもしれない。確かに、これまでとは異なり、こちらの予想に沿うストーリーが展開される。冒頭では、コカ・コーラとマクドナルドが槍玉に挙げられる。肥満レベルの増加をもたらした企業であるという。だがその上で、次の一文には久しぶりにはっとさせられる。「この二社は人々を肥満させようともくろんでいるわけではない。我々の舌が好むものを提供しているにすぎない(286頁)。」 

ここで語られているのは、問題の所在を一方的に企業=悪には還元できないという、企業と顧客の癒着の図式である。マーケティングは、顧客志向を標榜する。だがその結果、本当に社会はよくなるのだろうか。この問題は、残念ながら一刀両断できない。付き合い続けるという面倒な選択肢が消極的な結論だろう。その中で、マーケティングは発展してきたようにも思う。 

もちろん、「広告は欲望を作り出す(289頁)」。そのとおりである。紹介されるガルブレイスの依存効果の時代から知られてきたことでもある。そして本書の最初の一文に帰るのならば、これこそが、資本主義をこれまで生き永らえさせてきた根源でもある。広告をはじめとするマーケティングがなければ、おそらくもっと早く、資本主義は戦争という外的市場獲得の方法によって崩壊するか、あるいはある種の革命を伴った別の仕組みへと移行していただろう。無限に市場を深耕するメカニズムこそ、資本主義の根源であり、要するにマーケティングである。資本主義に希望があると近代マーケティングの父・コトラーが語るとき、マーケティングとして注目すべきなのは、マーケティングの功とともに、罪であることは全く異論がない。

 

マーケティングの功と罪では、最後に改めてソーシャル・マーケティングの活用が示される。最初の唐突さに比べれば、今度はそれなりにオチを提供しているようにもみえる。だが、もう少しその論理に踏み込めるような気もする。それを60年代以降やってきたはずだ。

残りの2つはまとめという感じである。幸福を目指そう。とすれば、12個目だけがこの本らしく、ただこれだけでは不十分だと思う。もっと他の本も合わせて読んだほうがいいのかもしれないし、そもそもこの本も、もっと大きなテーマの一部として書かれたものなのかもしれない。と、そんなことを思った次第でした。