イースター

季節ごとに明確に棚が変わるトロントのお店は、とても印象深いものがあります。ハロウィンからクリスマスへ、クリスマスからバレンタインへ。そして、バレンタインから(ちょっとだけアイリッシュデーを挟んで)、次にやってくるのは、どうやら4月に行われるイースター(復活祭)のようです。

イースターでは、ウサギが隠した卵をみんなで探すことになります(必ずしも復活祭自体がそういうものだというわけではないと思いますが)。卵は本物をカラフルに塗りますが、チョコで代替されることも多いようです。沢山チョコ卵が売られています。ウサギもだいたいチョコにされています。お菓子メーカー稼ぎ時再び、という感じですし、卵の中におもちゃを入れれば、おもちゃメーカーも出番となります(笑

考えてみると、日本では徐々にハロウィンが普及し始めたように思います。祝祭としての消費を渇望する消費社会としては、そろそろ次のターゲットを探し始めてもいいころでしょう。イースターもまた、その選択肢の一つという感じはします。

なんにせよ、4月にトロントに来た際、まだ右も左もわからない中で最初に出会ったイベントがイースターでした。季節の中で繰り返されるイベントではありますが、人によっては、一回性を帯びた重要な出来事にもなりえます。


鮮度管理

 『ゼミナールマーケティング入門 第2版』(日本経済新聞社、2013年)には、鮮度管理の事例としてカルビーのポテトチップスが出てきます。ポテトチップスは、店頭にずっと置いておかれると、油が回っておいしくなくなってしまう。そこであるときから、カルビーは、ビジネス上の指標を売上から鮮度に置き換えたーー鮮度(による)管理の始まりです。

 鮮度が大事だと言うことではなく、鮮度をビジネス上の指標にすると言うことが大事だろうと思います。通常、ビジネス上の指標は売上でしょう。ポテトチップスであれば、どれだけ店頭に押し込めるかが重要になる。けれども、店頭に押し込めば押し込むほど、鮮度は悪くなります。短期的に売りは立ちますが、味は落ち、長期的には顧客離れを誘発しそうです。
 一転して、鮮度をビジネス上の指標にした場合、押し込みはむしろ鮮度を下げる悪手とみなされるでしょう。むしろ、鮮度を保つための小ロット配送というアイデアが重要になってきます。あるいは、実販売の見込みと生産を連動させる重要性が増すため、小売店と密な連絡が必要になってきます。関係性の構築が重要になるという話につながるところです。

 そんなこんなでマーケティングを考える上で欠かせない鮮度管理のアイデアですが、実際問題として、どのくらいの回転を前提にしているのかということは興味のあるところ。ふと、トロントでポテトチップスを見て気づいた製造月日と販売日を見てみましょう。こちらでは定番のLays。どこにでも売られており、おそらく回転も速い。フリトレーによって販売されており、ジャパンフリトレーは現在カルビーの子会社だったりします。

 February 7 – April 21とあるので、たぶん、2月7日に作られ、賞味期限が4月21日までということですかね。買ったのが3月1日ですので、3週間強、店頭に置かれていたことになります。鮮度管理、どうかな。。。

 さて、ポテトチップスをコンビニやスーパーで調べてみると面白そうです。


トロントにも花粉症はある模様

トロントをはじめとするカナダにいつか来られる方々のために、備忘録がてら(個人的な判断を含みますし、2014年度のことです。正確ではないこともかなりあります)。

12月ぐらいからマイナスの世界が続くこの地域。花粉症とは無縁だと思っていたのですが、2月の中旬からとても体調が悪くなりました。もともとそんなに花粉症とは縁がなかったこともあり、ここまでとは。。。

ネットで調べる限りよくわかりませんでしたが、クチコミ系では症状が出ている方がやっぱりいるそうです。hay feverが花粉症の意味ということですが、病院で聞いた限りでは、environment allergiesだといわれました。後でネットで調べてみると、Pollen 花粉。あくまでサイトにあったイメージ写真を見ただけですが、これは、、セイタカアワダチソウ、「ブタクサ」?。で、思い出したわけですが、これ、子どもの頃にパッチテストで強反応だったやつでは(笑。必ずしもスギではないようです。だから、日本ではあまり症状がなくても、こちらで症状が出たのかもしれません。


Top 6 Environmental Allergies

考えてみると、11月ぐらいにも、咳が止まらないという時期がありました。あのころも、今思うと何か飛んでいたのかも、、と思う次第。そのころは、単にエアコンの埃かなと思っていましたが、乾燥している分、いろいろ飛びますね。

最初は市販のOTC薬品を飲んでいましたが、あんまり効果なし。トロントでは、いくつか種類があり、Claritinクラリティン、Reactineリアクティン、Allegraアレグラ、あとAeriusエアリスといったものがあります。あとこれらのジェネリック。Shoppersに行けば一式そろいます。日本だと、たぶんアレグラとリアクティン(ジルテック)を見かけるような気がします。どれも試してみましたが、あんまり効果はない。。。11月のさいには、アレグラを飲んでましかなと思っていたのですが、今回は駄目でした。

で、しょうがないので、病院に行きました。ウォークインクリニックであれやこれや説明して、結局処方されたのは、CETIRIZINE HYDROCHLORIDE 20 mgでした。これ、実は上記のReactineと同じもの。ただし、成分量が倍になっています。Reactineは、同じものが10 mgでした。これでいいのかなと思いましたが、数日飲んで、確かに普通に生活できるレベルには戻った気がします。

わかってみれば、市販の薬の量を倍にすれば良いだけだったのかもしれません。ただもちろん、勝手に飲み過ぎるのは良くないので、基本的には医者の指示に従うべきでしょう。しかしまあ、単純に量を増やすというのは、意外に効果的なのかもしれないと思った今日この頃でした。何となくイメージとして、OTCと病院処方では、そもそも薬の種類が違うのかと思っていましたが、処方量だけ違うというパターンもあるわけですね。

で、最後に無理矢理消費文化に持っていくとすれば、花粉症というのは文明社会が生み出した現代病ですよね。グローバルですね、というぐらいか。日本だけに特有なわけでもない。

大学ストライキ

日本ではストライキ自体あまり聞かなくなった気がしますが、大学(の教員を含む一部)がストライキするというのは、海外ならではという印象があります。そういえば、先日確かブリヂストンの現地工場の話を聞いたときに、昔は何度かストライキがあったけど最近は良い関係が構築されていると言われていた気がします。最初のストライキは、そもそも工場ができる前にすでに起きていたらしい(笑 文化、ですかね。

これを消費文化というかどうかはともかく、労働者の権利を守るユニオンの考え方は、雇い主である資本家たちに相対するために重要なことだったと思います。その一方で、資本家と労働者の対立が現代において(日本だけ?)薄められていったのは、労働者という身分よりも、消費者という身分の方が際立ってきたからであるように思います。労働者は資本家に搾取されているのだ、というよりは、企業は消費者に奉仕しているのだといった発想の転換です。フォードがT型フォードを大衆にも届けようとしたとき、その大衆とは、他ならないフォードの従業員たちでした。

そんな時代の移り変わりの中で、大学でストライキが起こり、授業がなくなってしまうというのは、なんというか、印象深いことです。今回のストライキのメインは、TAと契約教員(非常勤講師なのか、それともテニュア(任期制限)を持たない講師のことなのかは、ちょっとよくわからない)ということではありますが、テニュア教員ではないとはいえ、あんまりザ・労働者という感じもしないですし。古いことしているなというよりは、何か新しい現象なのかもと思ったりもしました。

日本だと、少なくともTAにはユニオンはないでしょうか。こちらも基本的に大学院生がTAをしているようですが、日本だとTAは一つの職業というよりは、ちょっとお金のもらえる手伝いぐらいの位置づけですかね。非常勤講師については、日本でも昨今は雇用止めの問題があり、ユニオンが重要になってきているのかもしれません。テニュアのない教員についてはどうでしょうか、これもユニオンというほどのものはない気もします。いずれ出来てくるのかもしれません。

授業がないだけで、大学の中は至って普通です。学生の数は少ないものの、自習している感じの人たちも結構います。不便といえば、道路が封鎖されていて、バスが入って来れなくなっていることくらいでしょうか。聞くところでは、相互のユニオンの協定があり、相手のピケがはられている領域は、他のユニオンはそれを尊重して入ってはいけないらしいです。


中原淳他『人事よ、ススメ!』碩学舎、2015。

 2013年の春から夏にかけて、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)にて、例年のとおり中原先生をコーディネーターとした人気講座「ラーニングイノベーション論」が開催された。本書は、そこで行なわれた12講を一冊の書籍としてまとめたものである。ちなみに中原先生はこちら↓

大人の学びを科学する nakahara-lab.net

写真:株式会社 Trinity

 教育をテーマにした授業や本は面白い。というのも、これはメ・タ・的だからである。教育をテーマにした授業では、教育(の方法)を、その方法を使って教育するのだ。そうそう、と思った人は、きっとそのまま教育に向いている人であろうし、はて?と思った方も、まずはこの面白さを感じるところから勉強を始めることができる。

 本書(あるいはベースになった授業)は、このメタ的な側面がとても意識されている。一つ一つの授業が、この本でいえば一講一講が、それ自体、受講者がそれぞれの現場に戻った後に利用可能な教育の方法である。例えば、松尾先生の反転授業を通じて反転授業を学ぶことで、その後、自分でも反転授業を行うことができるようになる。あるいは、高尾先生のインプロ授業を通じてインプロを学ぶことで、その後、自分でもインプロを行なうことができるようになる(さすがに本でインプロするのはちょっと難易度高いかも)。ラーニングイノベーションが意味するのは、人材開発に携わる上で、こうしたメタ的な側面を身につけるということだろう。

 教育論は、理論重視(やり方をしっかり教えよう、学ぼう的な)と実践重視(現場の中で師匠の業を盗むのだ的な)を揺れながら発展してきたという。本書の12講もまた、これらの両極を意図的に行き来しながら議論が進む。けれども、たんに2つとも大事だということが結論にあるわけではない。より重要なのは、これらの議論を通じて、そうしたメタ的な側面を丸ごと理解するということである。

 もしかすると、メタ的な側面は、教育の授業に限らないのかもしれない。例えば、マーケティングの授業でも同じことを考えられる。マーケティング活動では、細かいところはいろいろあるものの、総じて「この商品は良いものですよ」と伝える必要がある。ということは、マーケティングの授業では、この商品は良いものですよというための方法を、実際にその方法を使うことで、「ほら、この授業は良かったでしょ」とわかってもらうことになる。どうやら、教育は、総じて、これは大事だよ、と言うことを伝えることになる。このとき、「これ」という対象と、「これは大事だよ」という行為が、入れ子というか再帰的というか、そういう構造をとる。

 だからしばしば、おまえが言うな的な、つっこみもありうる。ただ、この点では、教育を授業する時の方がシビアだろう。マーケティングができなくとも、マーケティングの方法を教えることはできる(と、、思う)。けれども、教育ができなければ、教育の方法を教えることはできない。本書の登壇者たちは、その緊張感を感じながら、その緊張感自体をうまく伝える術があったように感じる。

 あるいは逆に、このメタ的なセンスのようなものが身に付くと、今度は、どういうつまらない授業を聞いても、面白く学ぶことができるようになる気もする。授業の中で、中原先生が運転免許の講習を受けた話をしていて、普段は面白くないのだけど、今回は気分を変えて「これは面白い面白い、へーそんなことあるんだ!マジか?知らなかった!」といちいち驚きながらメモをとって受けるようにしたら、めちゃめちゃ面白くなってすぐに時間が経ってしまったという。ようするに、そういうことかなとも思った次第(これは、、本にも残ってましたかね?)。

 本を読むかどうかまよったら、まずはブログから見てみるのがはやい。無料ですし → 大人の学びを科学する


それでもものを欲しがる習慣

 大学生の時にゼミで読んだ本の一冊に、山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』がある。とても印象深い本で、生産のための消費(何かのための消費)から、消費それ自体を目的とする消費の重要性を説いた本、だった気がする。うろ覚えだが、明日働くためにご飯を食べるというのは本末転倒していて、むしろ、食べるという消費行為自体をそれとして楽しむこと、その極として、茶道のような活動が見られる事になる。

 その後いろいろと本を読んだり、あるいはビジネスの話を聞くようになる中で、90年代には、「もの」から「こと」へというスローガンがたくさんあることを知った。今でも、マーケティングプランの一つとして、もの重視からこと重視へ、といった話は当たり前のように登場する。あるいは、ものではなく体験をといったような話も、同じ系統なのだろう。

 ものからことへという発想はよくわかる。けれどもその一方で、僕たちは、あまりにモノベースの発想に慣れてしまっているし、そういう圧力が社会的にあるようにも感じる。日常の生活でも、あるいはビジネスの現場でも、「で、答えは?」「で、どうしたらいいの?」と問い返すとき、何のことはない、僕たちは「答え」というモノを欲しがってしまっている。消費それ自体を楽しもうとするのならば、その問いはそもそもあり得ないはずだ。

 仕事は仕事、遊び(消費)は遊びということで分けた方が良いのかもしれない。けれども、元々の発想が生産のための消費を止めようということであったとすれば、消費のための生産もまた不毛であろうし(何も無理して消費自体を楽しむ必要はない)、ひいては、両者を別々に考えない方がいいということにもなるだろう。仕事の中にも、こと的な楽しみを見いだせた方が面白い。

 この点、研究という仕事はまだちょっと恵まれていて、答えに至らないようなぐだぐだとしたプロセスを楽しめる風潮がある。最後まで答えに至らないとそれはそれで困ってしまうが、あーでもない、こーでもない、そういえばこんなことが、あんなことがと考えたり話すプロセスが許されているように思う。この傾向は、日本的なのかもしれない。日本の論文やプレゼンは結論が後に来るから特徴的だよねと先日言われたけれど、ようするにそういうことかもしれない。

 仕事においてもプロセスを楽しんだり、プロセスを重視するような何かができるようになれば、面白いかもしれない。生産性が最終的に上がるのかどうか(つまり、モノが生まれるかどうか?)はわからないけれど、しばしば良い会社として取り上げられるようなところをみていると、そんな気もする。

San antonio

AMAに一生に一回ぐらいは行っておこうかと思った今日この頃。テキサスはサンアントニオに行ってきました。もっと暑いのかと思っていましたが、意外に寒いです。木にも葉がなかったことからすると、一応四季もある様子。

あー、スペインですな。リバーウォークすごくいいですが、もしかしてシエスタ?、昼間から飲めるんじゃないだろうかという、かつてのスペインの記憶だけがよみがえった次第。あのときは楽しかったですね。スペインに比べるとずいぶんと物価も高い気がしますが(時間が経っただけかもしれない)。ここはダウンタウンが本当に観光の街になっていて、治安大丈夫かなという意識とは無縁(もちろん、油断大敵ながら)。

空港のスタッフの方々がテンガロンハットをかぶっていて、テキサスのイメージはまさにこれだと思ったわけですが、それはアメリカらしいというよりも、スペインらしいというか、メキシコらしいと言った方が正しいのかもしれない(メキシコはまだ行ったことがない)。考えてみれば、もともと大航海時代に最初に新大陸についたのはスペインだったりポルトガルだったりしたわけで、イギリス的であったり、フランス的であるアメリカやカナダというのは、もう少し後のことなのかもしれない。

アラモ砦というものが有名らしく、たくさん観光客がいました。個人的にはあまりに馴染みがありませんでしたが、wikiなどを読むに、テキサスが独立するか(アメリカになる?)か、メキシコになるかの際に重要な拠点だった模様。ただここ自体はメキシコに落とされているようなので、一種のシンボル的な場所だったらしい。デヴィッド・ボウイの名前の由来らしいボウイ・ナイフは、このアラモで戦死したジェームズ・ボウイに由来するらしい。いろいろ発見があります。ちなみに、アラモ砦の向かいは蝋人形の館みたいなものが並んでいて、典型的観光地と思ったりもしたわけですが、子供はこっちに行って、大人はゆっくりアラモの中を見るという棲み分けなのかもしれない。

去年アトランタに行って、今回サンアントニオに来て、これまで南部のアメリカに来たことがなかったせいもあり、ちょっとアメリカのイメージが変わりました。初アメリカだったシアトルとはあまりにイメージが違いすぎます。。。あのときも、かっこいいスーツとコートで身を固めた人たちが、みんなスタバ(か、シアトルズベスト)のコーヒーを持って歩いていて衝撃的でした。

日本も地方によってそれぞれ特色がありますが、アメリカもそうですね。みんなマックを食べてコーラを飲んでとか(もちろんお店はありましたが)、そんなに単一なわけでもない。

研究の方法についての若干のアイデア

ちょっと忙しくて書くネタを思いつくこともなかったので、別途ぼんやり考えていたアイデアを少しまとめておくことにする。一応、マーケティング分析の範疇に入るだろうか。

2011年に反響のない本をまとめたとき、研究の方法として、事例研究とケースメソッド(ビジネススクール)の接続のようなところを書いた。その後、2014年にもう少しビジネスよりのリサーチの方法を少し書いたとき、ZMET、内観法、それからオブザベーションを紹介した。

実は後いくつか、ぼんやりと関連しそうな研究の方法があり、これらはいずれもそのままになっている。アクションリサーチ、ワークショップ、それから当事者研究である。これらがどう関連しているのかはよくわからないのだけど、いくつかの共通点はあるのだろうと思う。

2011年との関連で言えば、研究の方法として、理論的な話と実務的な話をうまくリンクさせるような(それは通常の意味での、仮説の正しさを経験世界で検証するという類いの意味ではなく)、そういうものだろうと思う。2014年との関連で言えば、より実務的な方法として、新しいものをうまく発見できたり、みんなで共有できるような、そういう方法なのかなと思う。

一昨年あたり、一番議論しやすいと思っていたのは当事者研究であり、ビジネススクールとのはまりがいいと思っていた。実務の方々がわざわざビジネススクールに来て、修士論文を書くとすれば、それは多分当事者研究に近くなる。その時、研究としてどういう新しさが得られるのだろう。元々の当事者研究は、精神障害者支援の中で生まれた方法であり、彼らが自身の症状を研究する。その目的は、問題の解決ではないとされ、問題を外在化させつつも、引き寄せて抱えなおすことが重要だと言われる。ビジネススクールの多くの修士論文でも、求められているのはそういうことのように感じる。


正直ここで止まっていたのだが、たまたまこのところアクションリサーチの論文を読んでいて、もう半歩ぐらいうまく考えられるような気がした。なぜか引用されていたハーバーマスの『認識と関心』によれば(といっても、読んでみてもそう書いてあるかどうかよくわからなかったのだが)、解放的利害は3つの方法の一つとして位置づけられる。この位置づけは、意外にも、僕も当事者研究がそうかなと思っていたことだった。似たようなことを考えている人がいるとすれば、やっぱり、アクションリサーチと当事者研究は同じような方向で捉えられそうだと思ったのだった。ビジネススクールと事例研究もこのラインで押さえられる、はず。。。

ただまだ、具体的になにが新しくわかるようになるのかがはっきりとしない。たぶん、この答えがわかれば、旧来の2つの方法の限界をうまく補完できるようにもなるのだろうけれど。もう少し実際にやってみながら、考えてみる必要がありそう。

WDW補足資料など

 ディズニーが面白かったので、売上の推移等を少し探してみました。データありますね。まとめて表にしておきます。

 現在ディズニーは5つのビジネスから運営されているようです。ただ、インタラクティブというのはまだ実験的という感じで、スタジオエンターテインメントも今ひとつ位置づけがわからなかったので、メインはメディアとリゾート、それからグッズ販売ということかなと思います。

 先のブログ「遠足は行くまでが一番楽しい」ではリゾートがすごいということだったわけですが、収益をみるとやっぱりメディアなんだということがわかります。営業利益の差がどんどんと大きくなっている。マジックバンドにしても、もちろん顧客関係のマネジメントとしてみることもできますが、大枠からいくとメディアとリゾートの連携を強めていくということなのかもしれないと思った次第でした。

ディズニーのメディア戦略というのはあまり知りませんが、関係ありそうな本もいくつかありますね。。(中身を読んでいないので参考程度ですが。)

 

マルチカルチュラリズム

カナダを代表する考え方と言えばマルチカルチュラリズムがあります。日常用語というよりは、国によって1971年に制定されたpolicyであり、しばしば、その定義について説明を受けたりします。それが実際問題としてどのくらい機能しているか自体が議論の対象となるわけですが、とはいえ、多様だなぁと感じることは多い今日この頃。


Canadian Multiculturalism

ということでJCCCの新年会に連れて行ってもらいました。総領事も挨拶して一大イベントという感じ。JCCCは一度行ったほうがいいと言われていたのですが、なかなか行く機会もなかった次第。噂にたがわずとてもきれいなところで、日系の方以外も剣道をしたり合気道をしていたりしました。毎年映画放映をしていたりもするようです。

入り口には池田タワーがあります。池田さんは、JCCCの元理事長で、教えてもらったところでは現在80歳。今回の会にも来られていてハーモニカを披露していました。ネットで探したらちょっと昔の記事を発見。


Japanese Canadian Cultural Centre

駐在の人もたくさん来ていたようですが、同時に、こちらに移民した人もたくさん来ていて、3世、4世ともなると日本語はもうしゃべれないかもしれないと。全体からみれば日系移民は少数と言われますが、しかしこんなにたくさんいるんだなと思ったところでした。コマとか竹とんぼとか、将棋とか囲碁とかで子どもが遊んでいて、しかし日本と言えばテレビゲームかもなと思ったりも(笑

で、そんなことを思いながら、スケートにも行って、それから帰りにたまたま寄ってもらったのは多分中国のお寺。

多様ですな。お寺では、中国語で何か話しかけられたのですが答えられず。仏教伝来の本等もたくさん置いてあったり、占い?の場所があったりして、以前行った香港の道教のお寺を思い出しました。そういえば、行く途中ではいくつもギリシア正教会のものらしい協会もあり、いよいよ盛りだくさんでした。

後で聞いたところでは、移住後に母国語を使わなくなるのは、日系移民の一つの特徴なのだそうです。他国の移民は、比較的母国語や自国文化を維持するらしい。規模の問題と、それから戦時中のキャンプが大きいのだろうということではありましたが、とても興味深い話です。移民とアイデンティティ(、そして彼らの消費行動)といえば、消費者行動、消費文化に関わる一テーマですね。