先日、絵文字の話を書きました。このところ興味を持っているわけですが、日本の市場展開とは別に、このところ絵文字のグローバル化が進展してきたように思います。その象徴的な出来事が、絵文字の2009年のunicode6.0への搭載です。この出来事は、Wikipediaをみると、GoolgeとAppleによって主導されたとあります。そのことは知っていたのですが、個人的に、どうしてそうなったのか、なぜ彼らがそうしたのかを知りたいと思っていました。
ピンポイントの記事を見つけました。
特集 : 絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」
非常に長文な記事ですが、とても印象深く、個人的に知りたいと思っていたことのいくつかが書かれていました。ざっくりポイントだけ取り出すとこんな感じかと思います。
1.絵文字のunicode登録は、実は、そんなにすんなりいったわけではなかった。
2.Googleたちは日本の絵文字を基本的にそのまま登録しようとしたのだが、その文化依存性がネックとなり、ドイツ・アイルランドから強い反対をうけた。
3.会議の中で調整がはいり、折衷案的な形で絵文字が登録されるに至った。
あわせて、個人的に知りたかったのは、どうしてGoogle(やApple)が、そんなことをしようとしたのかということでした。この点については僕の解釈も含みますが、次のような感じなのかなと思います。
1.2000年代中頃、Googleは携帯キャリアとの包括契約を進めていた。日本では、KDDIが最初であった。
2.Googleの目的は、携帯市場に検索技術を組み入れることであった(←ここがちょっとはっきりしないけれど、ようするにそういうことかなと)。
3.当時の絵文字はキャリア依存的であり、国内の統合基準は複雑だった。こうした絵文字は、検索にうまくひっかからない。そこでGoogleは、これらをコード化して検索できるようにしまおうと考えた。
4.コード化に際して、日本の独自なものがそのまま議題に上がったのは、適当にやったからではなく、今現在ネット上に存在するが検索できないものをすべて検索できるようにコードをふるということが目的だったからである。
5.しかし結果的に、他地域からのリアクションは、コード=検索可能という視点ではなく、コード=統一・整理・ユニバーサルという視点から行われ(unicodeは、もともととそういう目的でなされていたはず)、いろいろ調整が必要になった。
こうした展開は、マーケティング的にもいくつかの示唆を含みます。一つは、デファクトスタンダードを作るということの意味や難しさについて。デファクト競争は、しばしば産業形成の要になると言われています。古くはVHSとベータ、先般ならばブルーレイとHD-DVDなどがそうでしょう。これに関連して、日本のキャリアがデファクトを作り損ねたといこともいえるかもしれません。
ただ個人的に興味があるのは、そういうことではなく、、、unicode化されてしまうと、それ自体が収益を生むデザインではなくなるだろうということではあります。デコメールやスタンプを考えたとき、これらが標準コード化されると、当然そこに課金はできなくなる。Googleは検索、Appleは端末で利益を上げるからともかくとして、日本の企業にとっては、どうだったのかなと思ったりした次第でした。このあたり、もう少し知りたいところではあります。