兵法は経営戦略の指針になるのか?
1 敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず
完全に論文にはならない、でも、個人的には興味のあるテーマです。兵法と経営戦略、あるいはマーケティング戦略との関係やいかに、ということです。まあ、駄文です。
さて、今日、経営では「戦略」の重要性があれこれいわれているわけですが、ご存知のとおり、戦略という言葉はもともと軍事用語です。局地的な軍事行動の指針としての戦術、タクティクスに対して、包括的な軍事行動の指針としての戦略、ストラテジーですね。これらは、対としても軍事用語であって、必ずしも経営 用語ではなかったはずです。しかし、今日では、むしろ経営においてこそ戦略の重要性が語られている。それは、両者にそれなりの類似性があるからでしょう。
とすれば、ということで必ず出てくるのは、兵法でしょう(笑)。兵法とは、基本的には中国春秋時代のころの孫子が書いたものを指すのだと思いますが、こ れ以外にもいろいろあって、いずれも軍事行動の指針を示したものです。有名な、敵を知り、己を知れば、とか、武田信玄の風林火山とか、いろいろありますよね。
で、戦略つながりということだと思うのですが、経営についても、兵法で書かれていることが使えるのだ、といった感じの本もいろいろでているようです。た しかに、敵を知り、己を知ることが大事だといわれれば、なるほど、今日の経営においても当てはまるなあという気もします。風林火山は微妙な気もします が、、、それでもまあ、時に風のように、時に林のように、臨機応変に敵に対応する事が大事なのだ、という感じで捉えるのならば、これもなるほどという気が します。
もう少し兵法が経営に使えそうなところを強調してみましょう。いわゆる兵法三十六計というやつがあります。これは必ずしも孫子の書いたものではないよう ですが、この冒頭にはかなりいいことが書いてあります。「・・・術中に策あり、策中に術あり。太陽は、太陰なり。」どうでしょう。これはかなりすごい内容です。術というのは、戦術、策というのは戦略でしょう、とすればこれは、両者がばらばらにあるのではなく、すごく結びついているのだということをいっているわけです。それから太陽は、太陰あり、これは、光と影は同じものなのだといっているわけですね。何を言っているのだ、と思われるかもしれませんが、これ はなかなかに含蓄のある言葉です。われわれは、しばしば見えているからこそ見えていないものがあるわけで、ようは灯台下暗し、といったところですが、その あたりを端的についているわけです。うむむ、兵法おそるべし、でしょ(笑)。そういえば、古語では「影」という言葉は光ということも意味していると、高校 生のころに教わった気がしますが、あれも同じ感じですかね。。。
さてさて、これらは、間違いなく、含蓄のある言葉です。きっと、経営においても使うことができるでしょう。常に頭の片隅にでも置いておくべき言葉、座右の銘という感じでしょうか。知っておいて、大事だと思っておいて、損はないと思います。
ただし、ただしです。これらはたしかに含蓄のある言葉だと思いますが、だから兵法は経営にとって役に立つのだ、といってしまうにはまだ早いと思います。このことを議論するためには、正直、もう少しちゃんと兵法を読む必要があります。もう少しちゃんと、あるいは実際に兵法を読んでみると、兵法のちょっと違う一面がみえてきます。そしてその一面こそ、兵法と経営の関係をみるうえで一番大事なことなのだ、僕は思うのですが、まあまあ、そのあたりは次回でみていきたいと思います。
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えっと、若干確認しておきたいと思います。ここで議論されているのは、上のタイトルのとおりですが、「兵法は今の経営戦略となるのか」ということです。この問いは、兵法のあれこれが、しばしば経営戦略においても用いられている現状があるということを前提にして立てられています。ということは、まあ大体予測のつくところでしょうけれど、この前提的な理解に対して、われわれは批判的な立場にたとうとしているわけです。
とはいえ、ここまで、兵法におけるなかなか含蓄のある文言をみてきました。敵を知り、己を知れば、という有名な文言をはじめとして、兵法には、現在の経営戦略にも生きそうな文言がたくさん盛り込まれています。このことを、否定するつもりはありません。
で、今回確認したいのは、こうしたよく知られた文言ではなくて、むしろあまり知られていなそうな、そんな兵法のもう一つの側面です。兵法は、思っているよりもなかなかあれこれ書かれている書籍のようでして、われわれが知らないような話があれこれと載っております。
どれを紹介してもいいと思うのですが、まあまあ、ちょっとインパクトのあるところを取り出すことにしましょう。
背水の陣、ご存知の方も多いと思います。うろ覚えですが、中国、漢の国建国にあたって名を成した韓信のとった奇抜な戦略ですかね。水=川を背に陣を張ることによって、自らの軍の逃げ道をなくし、そのことによってこの戦いで勝つこと以外には生きる道はないということを示すことで、自軍の戦意を高めて通常以上の力を発揮させると、そんな感じの話だと思います。窮鼠猫をかむ、といった感じでしょうか。
さてさて、ここで大事なのはこうした具体的な内容ではありません。大事なのは、これ、兵法にある話なのか?ということです。
まあ中国の故事だということで、もしかすると兵法にもあった話なのかと、ちょっと思ったりする人もいると思います。あるいは、同じ話はないにしても、似たような戦略が書かれているのでは、と思う人もいるかと思います。
たしかに、似たような戦略は書かれています。ただし、たしかに似たような戦略ではありますが、その似ている度合いは、ちょっと予想できるものとは違います。兵法において書かれている背水の陣関連の内容、それは、川を背にして戦ってはならない、!というものです。ようするに、まあ同じ題材を扱っているという意味において似ていますが、、、しかし、結論はまったく逆であるということです。
ここに、兵法は今日の経営戦略となるのか、という問いに対する答えの一つのきっかけが与えられます。今日、われわれは、果たして背水の陣の内容と、それから川を背に戦ってはならない、という主張のどちらに、「経営戦略」的な指針を見出すことができるでしょうか?いうまでもないと思いますが、多くの場合は前者が選択されるでしょう。だって、文字通りの意味である川を背に戦ってはならない、これのどこに、今日的な経営戦略の指針があるというのでしょうか。まあまったくないとは言いませんが、あんまり実りのある話があるようにも思いません。今の経営では、普通は川は関係ないですからね。むしろここでは、兵法に書かれている内容の逆の主張の方が、つまり書かれていなかった背水の陣の方が、ちょっとばかしインパクトのある話のように思います。
さて、これはどういうことを意味するのか、背水の陣なるものが有名な故事として存在しているのか、という点から答えておきましょう。背水の陣が有名な故事となったのは、兵法というその当時の戦略の基本路線を逸脱し、同時にそれゆえに、成功した事例だったからです。兵法という、その当時にあっては当然踏襲すべきであった戦略をわざわざ逸脱し、しかしそれゆえに、自軍を勝利に導くことができた韓信、この驚きこそが、背水の陣という故事を生み出したわけです。
さらに「勝つ」ために志向される「領土」の存在そのものが、兵法と現代ビジネスは異なっている点に、注目しておく必要があります。先にも見たように、兵法で求められる領土というものは、例えば日本であったり三國志の中原であったり、一定の物理的な境界を持った土地のことを指しています。これに対して、現代ビジネスが求める市場とは、どこかに明確に制限があるわけではありません。
一方は有限であり、あるいは固有であり、それに対してもう一方は、無限であり、相対的なものだといえそうです。絶対的な領土は、そうそう増えたり減ることはありません。もちろん、ムー大陸的に土地が沈んでなくなったり、逆に生まれるということもないわけではないでしょう。しかしながら、普通に考える限り、兵法が戦わずして勝つことで求めようとした領土は、その絶対量がはっきりしています。その絶対量をめぐって、激しい戦いが繰り広げられるわけです。
これに対して、市場は無限とまではいわないまでも、かなり制約の弱い広がりを持った存在です。例えば、30年前のわが国のハンバーガー市場の規模と、現在のハンバーガー市場の規模とでは、その大きさが全く違います。とすれば、ハンバーガー企業の多くは、その市場規模を、相手と戦って奪ってきたというよりは、どこか別のところから持ってきたか、作ってきたと考えた方が良さそうな気がします。
むろん、ハンバーガーを例にとる限り、彼らの新たな市場とは、僕たちが今日何を食べるのかという1日三食の絶対枠を奪い合ってきたのだ、ということもできるかもしれません。けれどもこれも、結局は領土ほど固有ではありません。昔は一日2食だったという話もありますし、金額だって今とは違っていたでしょう。これらの要因もまた、現代ビジネスの中で、いつのまにか新たに作り出されてきたように思うのです。
程度の問題であると考えても構いませんが、少なくとも両者の領土なり市場の有限性を念頭に置くのならば、戦わずして勝つの意味が少しずつ違ったものとなるであろうことは間違いありません。