今更ながら、仁と万華鏡

[もう古いか]

理由はないのですが、そういえばと思い出した話があります。
ドラマでやっていて結構人気だったらしい「JIN-仁」。たしかに、たまたま最初の一回目か二回目をみていて、まさかの展開におぉ何だこれは?と思った記憶があります。その後結構みました。その中に花魁の方が万華鏡をかりかりとまわすシーンがあり、それも印象的だったわけです。少しその辺りを書き留めておこうと思い立った次第です。ネタバレ含みますので、以降注意を。

ストーリーは繰り返すまでもなく、いわゆるタイムパラドックスをベースにした時代劇。現代の医者が幕末になぜかタイムスリップしてしまい、過去を変えることで未来を変えてしまう、かもしれないという話でした。この際、ストーリーのカギとなるのがさっきの花魁の方であり、彼女は主人公の未来の彼女の祖先だというわけです。花魁の病気を救うことは、未来の彼女の運命を変えることになる(花魁が死ぬ運命にあることで、未来の彼女は登場できるらしい)。

そんなところで、その花魁がいつも手にしているのが万華鏡でした。万華鏡をまわすと、当然景色が変わる。その変化は、未来の変化でもあり、あるいはすでに確定したはずの過去の変化でもある。そういう象徴なのかなと思いました。

[過去が変われば、未来が変わる?]

さて、ここで思ったことは、過去が変わると、未来が変わるということの意味でした。それは当たり前のことでもありますが、過去のあり方が変われば、未来は変わる。死ぬべき運命にあった人が生き残れば、その先の未来は当然変わるでしょうし、当時は存在しなかったはずのペニシリンが開発されれば、もっとその先の未来は変わるでしょう。これは当たり前のこと(ストーリーでは歴史の力による修正力が働き、そう簡単には未来は変わらないことになっているようでもあった)。

一方で、現実には、僕たちはいつも次のように考えています。過去は変えられない。このとき、過去が変われば、未来が変わるという主張を、A(過去が変わる)→B(未来が変わる)と置きますと、Aが偽を取ることで、Bは真偽のいずれをとっても命題は真を維持できることになります。過去が変わらないとしても、未来は変わるかもしれない、という感じでしょうか。これは日常感覚にあっています。
ここで、さらに対偶命題を考えることができます。対偶命題は、notB→notAですから、未来が変わらないならば、過去は変わらない。さらに、「過去が変わると未来が変わる(A→B)」ことが真であるのならば、対偶命題も真のはずです。つまり、未来が変わらないなら,過去は変わらないもまた正しい。無理矢理時間軸を並列にしているからでしょうけれど、なんだか変な感じです。未来が変わると過去も変わるような印象も受けることか。しかも通常の意識として、未来は変わりうるものだと思っているのだから、それに応じて過去が変わるようにも読めてしまう(これをもう少し変形させると、ダメットの酋長の踊りや遡及的祈りをつくれますかね。うまく組み合わせたな。)

[万華鏡は未来?過去?]

とそんなよくわからないことを思いつつ、改めてあの印象的な万華鏡はどんな意味があったのかなと思ったわけです。一見したとき、それは未来の姿のように見えました。くるくる回すと未来の形が変わる。大事なところで、カチーンという音がする。

同時に、それは過去の姿のようにも見えます。タイムトラベルしていますから、過去が変えられる。くるくる回すと過去の形が変わる。大事なところでやはりカチーンという音がする。

過去が変われば、未来が変わる。未来が変われば、過去も変わる。万華鏡が見ているのは、過去であるとともに未来の折り重なった姿なのかなと。過去と未来は通常の時間では分けられるように感じていますが、少なくともドラマでは分けられずに折り重なっている。万華鏡は望遠鏡のようでもあるが、決して向こう側(未来?)が見えるわけではない。見えているのは中の世界(過去?)だけであり、でもそれがくるくる回り、過去も変われば未来も変わる。そんな感じ。

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2011年08月14日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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