顧客は誰か?

顧客は誰か?

選挙が近いらしい今日この頃。本年は日本にいないし、こちらで選挙手続きが間に合わなかったこともあり、ちょっと第三者的傍観をしています。そんなところで思ったことを一つ。

政治というのは難しい世界で僕にはよくわかりませんが、非営利・公共組織のマーケティングという観点からいえば、最大の問題は顧客が不在だという点にありそうです。といっても、だから顧客を良く見ろということではありません。しばしば、政府は国民を無視していると批判されますが、それはむしろ当たり前のことです。そうではなく、政治は、国民を無視しつつ、当の国民に信任されなくてはならないという難しさがあると思います。これが、僕たちが以前考えた非営利・公共組織のマーケティングの中心課題の一つです。興味がある方は『新しい公共・非営利組織のマーケティング』をご覧くださいませ。

ひとくくりに国民というとよくわからなくなるのであれば、今の国民を無視しつつ、未来の国民のために行動しなくてはならない、といえばわかりやすくなります。政治で顧客が不在となるのは、政治の恩恵を受けるであろう顧客が子供だったりまだ生まれていないからであり、政治は彼らのために何かをなそうとしつつ、しかし一方で、そうした活動の信任は今の国民という顧客ではない人々から得なくてはなりません(もちろん、5年後とか10年後ぐらいを想定すれば、今の人々も部分的な恩恵は受けられるわけですし、あなたの子どものことだと言えばそれなりに納得感も出るわけで、このあたりが駆け引きになってくるのだろうとは思いますが)。

今の国民を顧客だと考えれば、おそらく、企業に近い行動がとれるようになるでしょう。マーケティング手法もそのまま応用できる。なにより、企業よりも独占である以上、やりやすいに違いありません。けれども、そうではないのが厄介なところなのかなと。さらに、逆に、完全に今の国民を捨て、未来の国民だけに目を向けるというのも危険な問題を孕みます。人は死ぬが国家は死なない、という最悪パターンに向かう可能性があるからです。

ちなみに、マーケティングという観点からいえば、政治とは、特定の人々を優遇するというターゲティングの機能も果たしています。先の時間的な相対化に対して、こちらは空間的な相対化といえるかもしれません。典型的には、お金持ちからたくさん税金を取り、貧しい人々に分配するというわけです(逆もありえますが)。この場合は、まだ支持が得られやすいでしょう。二大政党制というのは、基本的にこのバランスの上に成り立っているのかもしれません。

今に縛られながら未来に目を向けるという困難は、過去に縛られながら未来を生きるというような言い換えもできるかもしれません。以前与那覇潤さんが書かれた東洋経済の記事の中に、国家が歴史を捨てられたらどんなに自由に、また仲良くやっていくことができるだろうかという話がありました。「ひょっとするともはやこの国は、トラブルの種にしかならない「歴史」を捨てたがっているのかもしれない(「「歴史」を捨てた方が幸せになれるとしたら?」)。」もちろん、それは難しいことです。けれども、ここにある問題も、似たような構造をとっているようにみえます。

そんなことをふと思ったのですが、もっといえば、未来を志向するという国家像自体が、古いのかもしれません。もっと企業のようになることもできるでしょうし、このネット時代、国家が未来を見据える必要もないという可能性もあります。それは一つの可能性ですが、最近の傾向として、どんどんと過去や今に縛られ、未来(の人々という顧客)のことを考えられなくなっているようにみえるのは、どうなのかなと思う次第です。


2014年08月14日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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