AIはマーケターを不要にするか(2015年時点のアイデア)
先日、マーケティング協会で次世代マーケティングコミュニケーション研究会のオープニングセミナーがありました。その際のパネルディスカッションで、ちょっと話題になったテーマがこれでした。(そうそうたるメンバーの皆さんでしたので、何か答えがあるかと思いまして、聞きたくなってしまった次第)。ビッグデータやクラウドの発達によって、仮説すら不要の超高速PDCAサイクルのような仕組みが作られつつある。とすれば、最適なマーコムを考えるようなマーケターはもちろん、新しいニーズの芽を見いだすようなマーケターですら、次世代にはいらなくなってしまうのではないかというわけです。
昨年オックスフォード大学の先生の話として、次世代にはなくなっているであろう職業が紹介され、あちこちで紹介されていました。この中に、もしかするとマーケターも入っていたのかもという気になりました。
「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」
もちろんこれにたいして、その場でいくつかの興味深いコメントがあり、次世代マーケターを擁護する視点として大事なところかと思いました。一つ目は、創造性に関わる問題を取り扱うのであれば、マーケターは依然として必要であろうという点です。この点は、先のオックスフォード大学の記事でも紹介されているわけですが、「クリエイティブなスキル」が人間にはいよいよ求められるということになるのかもしれません。それからもう一つは、一つ目とも関連して、そもそもマーケターが行うマーケティングとは何かについて、再定式化が必要であろうという点です。これはおそらく重要であり、マーケティングを狭い形で捉えている限り、10年後にマーケターは不要になるのかもしれません。逆にマーケティングをAIの未だ及ばない範囲の活動として捉えること、ようするにそれはクリエイティブという話につながるわけですが、それが必要になりそうです。
といったところで、AIがもう少し発達してもマーケターは大丈夫かなと思ったわけですが、これとは別にもう少し一般的な議論として、AIが人間を超えるかどうかは検討の余地があろうかと思います。それは、クリエイティブとはそもそもどういうことかに関わりそうです。
AIが人間を超えるかどうかについては、ずいぶんと昔から議論されてきました。少し前までは、AIの限界として指摘されてきたのは、いわゆるフレーム問題だったように思います。Aというルールに従って考えることはできるが、そのAというルールに従うべきかどうかを考えることはできない(あるいは難しい)というわけです。Aにというルールに従うべきかどうかを定めるMAというルールを設定したとしても、今度はMAに従うべきかどうか、、という無限の問題が生じるわけですね。
このあたり、よくわからないのですが、近年期待を集めるディープ・ラーニングは、この問題に対する解決を提示しているともされています(wiki「ディープ・ラーニング」をみると、単にブルートアタックな感じですので、ちょっと違う気がしますが)。個人的なイメージは、ミンスキーのいう心の社会を実装してみたのかなという感じではありました。なんにせよ、こうした新しい技術が実装されていけば、人間のいわゆる創造性というものも、いずれ再現できてしまうような気がします。
ここで思うのは、創造性というのはどういうものだろうかという問題です。創造性というのは、すごいいいこととして考えられますが、現象としては現状からの逸脱です。たんなる失敗でもあり得るように思います。人間でフレーム問題があまり重要にならないのは、人間の能力が不完全だからでしょう。無限にルールを遡ったり問い直す時間も能力もないからこそ、適当にやってのけてしまう。その適当さが、多くは失敗の原因な訳ですが、ときどきの発見につながる。心の世界を実装した機械や、創造性を獲得したAIというのは、優れて人間的なAIであり、成功もするけれど失敗もするという、ようするに平凡な人間のことなのでは、と思ったりもするわけです。
それからもう一つ、AIについては考えるべき問題があるように思います。それは、多くのAIは身体を持っていないということです。人間が持つ身体は、脳に従う物体であるとともに、脳を裏切る(意のままにならない)物体でもあります。というか、生物は最初に脳を持っていたわけではなく、脳は物体の発達の過程で、どこかで生まれた副産物です。それは進化の過程を考えればわかりやすい。このとき、身体を伴わないAIが、果たしていわゆる創造性のようなものをどこまで身につけられるのかは、もう少し考えてもいい気がします。クラウドや分散型コンピューティングはAIにとってかなり重要なことだと思うのですが、身体を持たせた場合、AIはスタンドアローン型にとりあえずなる気もするわけです。(というわけで、セミナーの最後の話はスタンドアローンコンプレックスだったわけでした。嘘)。