身体からAIへ。


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年度末にあれこれ作業をするのはルーチンでありますが、AIマーケティング研究会の取りまとめと、それから本質直観の再検討を急ぎしている次第でした。それぞれ特に関係なく別物でありますが、本質直観系の会でAIのセッションも(なぜか)あったこともあり、両者のつながりもあるのかもと漠然と思っていました。

だいたい似たようなものなのではないかと。AIは、しばしば、ブラックボックスであり、理由や論理がわからないと言われます。その気持ち悪さ故に、なかなか受け入れられなかったり、あるいは問題が生じる可能性があると考えられています。逆に、それゆえに、人間の役割は、そうしたブラックボックスを解き明かし、理由や論理を考えることにあるのではないかともされます。

AI=直感で置き換えられそうです。直感は、しばしば、ブラックボックスであり、理由や論理がわからないと言われます。その気持ち悪さ故に、なかなか受け入れられなかったり、あるいは問題が生じる可能性があると考えられています。逆に、それゆえに、人間の役割は、そうしたブラックボックスを解き明かし、理由や論理を考えることにあるのではないかともされます。

違う点は、AIは間違わないけれど、直感は間違う。ところが、直感ではなく、直観であれば、いよいよ間違わないわけですので(というか、間違うとか間違わないという表現が意味をなさない)、この違いもなくなります。

もちろん、もう一つの違いがあります。AIは自分ではないのに対し、直観は素朴に自分のものであり、自分が生きる生活世界のものです。AIの場合は、他者性がびっくりするくらい強く現れてしまい、正直な所それで面食らうのかなと。端的に気持ち悪い。ただ同時に、このびっくりすることはブレイクダウンのタイミング(自身と一体化していた杖が折れ、その瞬間に物性が立ち現れる的な)でもあるので、結局明証性に帰結しがちな直観の議論よりも、可能性としては、もう少し多様なのかもと思ったりしました。

今日的なAIの多くは、例えば将棋にみるように、もともとは棋士が有していた直観に意味や理由を与え、機械にわかるような形でコードとして表現できたことで発達したように思います。その意味や理由は、直観そのものとはまた別の何かですが、それがAIに内面化されて改めてブラックボックス化し、今度はそれを棋士たちが読み解き、意味や理由を与えようとしているのかなと。そう考えると、大体において、AIも他者もだいたい同じようなものなのだろうなという感じになりました。

他者は、しばしば、ブラックボックスであり、理由や論理がわからないと言われます。その気持ち悪さ故に、なかなか受け入れられなかったり、あるいは問題が生じる可能性があると考えられています。逆に、それゆえに、人間の役割は、そうしたブラックボックスを解き明かし、理由や論理を考えることにあるのではないかともされます。

いやこれ、考えてみるとほとんどなんでもあてはまりますね。。。世の中だいたいブラックボックスなのかもしれません。


2018年03月20日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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