自粛要請と補償

非常事態宣言よろしく、政府から様々な形で自粛要請がでています。対応した方がいいわけですが、実際に自粛するとなると収入がなくなってしまったり、いろいろと支障が出るという方も多いはずです。うちの近所のお寿司屋さんや串焼き屋さんも、客足も減っているし、思い切って店を閉めようかと思うけれど、閉めても場所代や人件費はかかるわけで、どうしようか悩み中という話でした(非常事態宣言が出る前の話で、その後は閉めることになりましたが。)

こうした自粛要請に対し、であればちゃんと補償をすべきだという意見が多く出ています。逆にいえば、政府はお金を出したくないから自粛要請という曖昧な形で依頼をして、自己責任として自粛の決定をしてもらおうというわけです。そうかもしれません。株価も支えてもらいたいところですが、足下を支えることはもっと重要です。

ところで、一方で何かをお願いし、一方でそのお願いの対価を提示する。当たり前の方策ですが、この方策が「交換」になっている点はとても興味を持ちます。一方的な命令でもなく、依頼でもなく、その実現に対して補償を行うというわけだからです。

交換が見出されれば、それは市場原理の射程となり、さらにはマーケティング(論)の対象となります。政治は、もちろんこうしたギブアンドテイクの世界でもありますが、歴史的には、強権的な命令の世界だったように思います。権力のありようが変化していることは、よく語られるところです。王権神授説がやがて市民との契約という形を取るように、日本でも、例えば御恩と奉公にしても、そのような交換関係が武士の間から一般市民との関係において成立するようになっていく。政治が徐々に市場原理や経済システムに包摂されていくプロセスでもあるといえそうですが、それは同時に、マーケティング(論)として考えられるようになっているということでもあります。このあたり、いろいろ考えてみたいなと思う今日この頃です。

p.s.

そういえばこのところ改めて生権力の話も出ているようで、補償にせよ10万円給付にせよ、確かに生権力的な側面がみられると思います。生かしめる権力の形、統計など科学的知識を基礎にした人口の統治。同時に、こちらも議論されているようには思いますが、むしろ後退しているという見方もありますし、あるいはそれは、もっと別の新しい形を示しているような気もします。考えてみれば、三つの権力のパターンとして、ハンセン病や天然痘、さらにはペストへの対応が例示されていたことはとても示唆的であり、新型コロナへの対応は、いずれ第四のパターンとして例示されるようになるのかもしれません。ただいずれにせよ、経済や市場との結びつきがより強まっていくことは確かかなと。


2020年04月25日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

関連記事