15年経ちました。
2005年に大学に着任し、思えば早いもので15年が経過しました。まさかの新型コロナ流行でそれどころではないメモリアルとなりましたが、15年という月日は、僕ぐらいまでの年代の教員(大学に限らず)にとって、非常に重要な意味を持っています。大学院時代に受け取っていた育英会からの奨学金(5年間だと、およそ5−600万円)の返済が免除となるからです(特別免除)。これは、大学院修了後、教職に就き、15年勤務することが条件であり、ストレートで博士課程まで上がっていたとすれば、42歳になります。
ーーーー
ーーーー
長らく続いてきたはずのこの制度は、しかし、僕ぐらいの修了のタイミングが実質的な享受者としては最後の方になります。ちょっと下の後輩の方々は、この特別免除が全員ではなく特定の人だけとなり、競争的な免除となりました(今はどうなっているのかよく知りません)。15年後の今から見れば、その金額の返済は決して不可能だったわけではありませんが、個人的には、だんだんと制限が厳しくなっていったことをとても残念なことだと思います。昨今はポスドクの問題も指摘されるようになっており、修士や博士課程の方々に支援をすることは、将来的に、重要な意味があるはずです。
特別免除の仕組みが競争的になった背景はよく知りません。資金の問題や、回収の問題があったということはわかります。2002年頃の新聞記事を見ると、「教育研究職という特定の職のみが対象で不公平を生じさせる」といった理由が中間報告案として示されていました。僕自身は奨学金がなければ5年間暮らせなかったとは思いませんが、一方で、奨学金があったからこそできたことも、きっとありました。本を買う、パソコンを買う、学会報告に出かける。これらはお金を必要としており、やらなくても生きてはいけますが、院生にとっては非常に重要な問題です。社会的に寛容だった時代といえばそのとおりですが、もっと続いても良いように思いますし、さらなる時代という点では、教育研究職に限らず、全ての職において、という発展の方が望ましいように思います。
所得の多い人から所得の低い人への再配分は、税制などを考えれば基本的なアイデアです。その上で、特に所得の高低は年齢との相関が高いことを鑑みれば、よりストレートに、若年層への配分を増やし、それ以上の年齢層への配分を減らすことは重要になると考えられます。若年層は税金もそもそも払っていない可能性がありますから、税制だけではなく、奨学金のような仕組みは不可避です。その額はもちろん、その受領に対する気持ちを減らすことは、(特定の層だけへのサービスであれ)、あまり良い手であるとは思いません。
僕自身、おそらく特別免除の可能性がなければ、奨学金をもらおうとは思わなかったでしょう。当時は、未来への見通しもなく、借金するということに対する抵抗がありました。そして、なくても暮らしてはいけそうである。この感覚は、一般的なものとして、若ければ若いほど強いような気がします(本当は、この感覚に反して、若ければ若いほど借金はできるし、した方が良いことが多い)。結果的に奨学金を当時受け取ることで、その時に多くのメリットを得ることができ、不十分ながらここまで働くこともできました。あの時買った本や、あの時出かけられた学会は、もしかすれば、金銭的問題で買わなかったり、行けなかったのかもしれません。
じゃあ今から返してと言われると別の抵抗感が湧きますが(笑、税金が少し高くなるといった別の仕組みであればそれはありだと思っています。昨今では、初等教育から無償化が高等教育へと広がりつつあります。大学院まで広がることを望みます。