大学や大学院で学ぶこと

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先日IT企業の社長の方と少しお話しする機会がありました。博士課程にもちょっと行っていたということで、大学や大学院で何を学ぶことができるのか、何を学ぶのかということについて、なるほどと思った次第です。

まず、大学や大学院で「知識」を学ぶということは、定番の答えであるようにもみえますが、あまり高く評価されません。よく言われるように、知識は陳腐化するからであり、大学や大学院でなくとも、そうした知識は今では容易に学ぶことができます。

それではということで、その都度必要になる知識を得るための「方法」を学ぶのだ、という話になります。確かに、知識を得る方法を学べれば、以降は自分で知識を得ることができるようになります。その通りですが、少し注意が必要なのは、こうした方法もまた陳腐化していくでしょうし、知識との違いは程度の差であるようにも思います。今では、方法もまた、容易に学ぶこともできそうです。

知識を得るための方法という方向性は大枠はいいとして、もう少しうまく言えないかなと思っていました。というところで、その方が博士課程に行ったのは、学者の思考のパターンを知るため、その思考のパターンに自分の脳の形を変えられるようにするためだということでした。

ここでいう学者の思考のパターンを知ることは、必ずしも知識や、知識を得るための方法とは合致しません。むしろ、考え方一般であり、何を正しいと思うのか、何を面白いと思うのかといった広い意味での思考のパターンだと思います。これは多分、価値観や、あるいは組織であれば組織文化のようなものに近いと考えた方が良さそうです。

大学や大学院に行くのは、その大学や大学院の価値観や組織文化を学ぶため、あるいは身に付けるためだと考えてみるのはどうかなと思いました。ビジネススクールも同様です。このメリットはいくつか挙げられます。第一に、価値観や組織文化は、一朝一夕には身につきません。その場にある程度コミットし、参加し、仲間とつながる必要があります。知識や知識を得る方法は、スポットで研究会を開いても知ることができます。しかし、価値観や組織文化を知り、さらにはそれを身につけるためには、時間が必要です。あんまり授業に出席せず、適宜単位だけ取って卒業を目指すという場合も、組織文化を得ることはできないでしょう。第二に、授業だけではなく、卒論や修論を書くという理由にもなります。これらは何かの知識を得るためでも、知識を得る方法を学ぶためでもなく(もちろん、これらも得られるでしょうけれど)、大学や大学院という組織が有する通常業務であり、日常です。その業務や日常を通じて、価値観や組織文化を学んでいることになります。そして最後に第三として、価値観や組織文化は陳腐化しません。いずれ大学や大学院の価値観や組織文化も変わっていくと思いますが、だからと言って、今の価値観や組織文化に意味がないということにもなりません。そういう価値観や文化があるということは、ずっと残り続けます。

こう考えると、別に大学や大学院にいかなくても、別の組織に転職するなり出向すればいいのではということにもなります。その通りですが、本当に最後に第四として、大学や大学院で学ぶ価値観や組織文化は、多くの会社に比べても、世界規模で長期間続いてきた価値観や組織文化であるということがメリットとして挙げられます。結局知識や、知識を得る方法にも関わってくるところで、大学や大学院の価値観や組織文化は、知識や知識を得る方法とも密接に関わっており、過去の歴史から見る限りは他の価値観や組織文化よりも総じてロバストであるように思います。あとこの点について、ビジネススクールの場合ですと二足の草鞋パターンになりそうですので、本業をやめずに他の組織文化を体験し、身につけられる機会になります。

まあ考えてみると、思考のパターンを知りたいという発想そのものが、学者的な発想かもとは思います。


2021年03月06日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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