単一事例研究の意義

事例研究の位置づけは総じて低い。でももう少し考えたらと思う今日この頃。先日の商業学会で「流通と事例研究」の司会を担当させてもらったが、最初の東先生たちの事例研究についての位置づけと新たな分析方法がとても興味深かった(東伸一、金雲鎬、横山斉理.事例内因果推論技法としての過程追跡法の方法論的基礎とその流通研究における可能性について.青山経営論集,55(4),80-98, 2021)。いろいろ考えてみるのは大事だと思う。ということで、個人的な備忘録まで(東先生たちの報告とは直接は関係ないです)。

一般的に事例研究の位置付けが低いのは、定量的研究に比べてであり、「一般性」や「普遍性」の問題に引っかかるからである。個人的には、単一事例研究だけで、一般化ができるのかどうかについては、どんなに手順を確立させたとしても難しいと思う。どんなに精緻に、あるいは厚くデータを集めても、その単一事例の内的妥当性が高まるだけである(そしてそれ以上に何か必要であるようには思わない)。

従って基本的に考えるべきは、単一事例研究が、一般性とは別に、どういう意義を持つかである。事例研究でも数が増えれば、一般性についてももう少し議論できるようになるが、単一事例研究でも十分に意義がある。このあたりについては既に過去にもまとめている。10年以上前に書いたものだが、これでもいい気がする。

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単一事例、または少数事例で論文を書く場合

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とはいえ、ここではもう少し違う説明として、単一事例研究は例外事象を扱うことができるということを強調しておきたい。これは、ただたんに、事例そのものがこれまでの議論にはない例外事象や先端事象だということではない(例えば、ネットが出始めた頃のネットの事例、であるとか、日本ではまだ例がない的な事例。上の昔の記事で言えば2番目か3番目。正直なところ、これ自体は定番的な言い訳に近い)。ここでいっているのは、もっと中身の話として、理論的なモデル、あるいは因果モデルにおいて、個別具体的な要素を含んでいるということである。

モデルにおいて個別具体的な要素を含むとは、例えばシンプルにY=a1X1 + bのようなモデルを考えた時、 その事例においてのみ、Y=a1X1 + a2X2 +bとなるような例外的な変数X2を含むということである(もちろん、+でなく、×としての変数でもいい)。この変数X2は、一般性を示そうとする研究では当然失われてしまう。集めれば集めるほど、一事例でしか観察できないのだからますます消えてしまう。上の例でも、仮に「ネット」や「日本」をX2として取り扱えるのあれば、個別具体的な要素となりうる。

単一事例研究が意義を持つとすれば、こうした例外事象を取り扱うという意味においてである。もちろん、調べていくうちに、この例外事象が決して例外ではなく、意外に一般性を持っているということがわかるのかもしれない。あるいは、この例外事象にはもっと抽象化できる意味があり、その意味であれば一般化できるということになるかもしれない(場合によっては、X1とX2は実は同じ性格を持つ的な)。単一事例研究から複数事例研究、さらには定量的研究へしばしば研究がシフトする、またはシフトすべきであると考えられているのはそういう理由によるのだろう。

合わせて、例外的な要素を含むことによって、通常のモデルとは異なる結果が見出されるということもあり得る。この可能性は、いわゆる反証可能性だと考えられる。たった1匹白いカラスを見つけられれば、カラスは黒い命題を一応は反証できる(実際にはできないが)。こちらも単一事例研究の意義となろう。

はたして、こうした例外的な要素はどの程度存在するのだろうか。そこでは、少なくとも事態は複雑で、要素はいろいろありますよねというだけでは回答にはならない。事例研究がしばしば陥りがちなのは、この例外的な要素の特定に失敗するということであり、雑多でよくわからない事例になってしまうことや、逆にあまりに一般化できるような要素だけに焦点してしまう(であれば、定量化すべき)ことである。とりあえずのケース論文や、あるいはケース・スタディの材料といえばこれで十分であるし、むしろ現実の丁寧な記述ということになるが、それなりの論文として位置付けようとする場合には、もう少し違う位置付けが必要になる。

しかしこの手の例外的な要素は、思っている以上に多いと思われる。むしろ一般性を持つ要素だけでなるモデルの方が少ないだろう。例えば、とても仮想的な話として、ユニクロの成長を考えよう。リーダーが優れていた、ビジネスモデルが優れていた、あるいは時間的にこうした能力が形成されていった、だから、今日の成長がある(あるいは、どこかの段階での成功がある)という場合、これらはおそらく一般的な要素からだけ成り立っている。その説明力も高いかもしれない。一方で、直感的には大事ではなさそうだが、次のような要素はどうだろう。山口発だった、社名を変えた。調べていくと、意外に大事になるかもしれない。特に、+ではなくxで考えた場合には事態はかなり難しい。そしてその場合、引き続き直感的にみて、他の企業も同様だ、つまり一般性があるとは言えない気がする。とすれば、これらの要素は個別の要素となる。排除していいかどうかは、単一事例研究として考える余地がある。実際、多くの単一事例研究が示すのは、こうした驚きの要素である。(そしてしばしば、改めて一般化されていくこともある)。

別の例として、例えば石井先生の「日本の企業家 6 中内功」を考えてみるのはどうだろうか。これは基本的に単一事例である。論文というよりは本だが、中内功によるダイエーの成長と失敗のプロセスについて、弟の中内力との比較や関係を描き出そうとしている。明らかに、弟という要素は例外的であり、一般的ではない。もちろん、これも抽象化次第で、リーダーにはそれを支える存在が必要であるとか、セブンイレブンの伊藤と鈴木といった感じでグループ化していくこともできるかもしれない。ただそれでも、通常の企業の成長要因としてはあまり研究されてこなかった要素だろう。それが少なくともダイエーを考える上では大事なのかもしれない(実際にそうなのかどうかは、書籍や論文自体の課題となろう)。この時、弟という一般化すれば消えてしまうであろう要素は無意味である、ということはあまり意味がない。現にダイエーでは大事だったかもしれないのだから。それを主張する本や論文に対して、それは一般性がないのではといっても、批判としては成立しないだろう。むしろ興味を持つべきなのは、この例外的な要素が現実においてどのように作用し、ダイエーという稀有な企業を作り出していったのかである。

 

結局のところ、一般性のある要素と、例外的な要素、私たちが欲しいのはどちらだろう。私の会社でも使える、必要な要素がということであれば、一般性のある要素が欲しいかもしれない。だが、この手の要素は、誰もが欲しい要素であるとともに、要するに一般的な=ありふれた要素である。対して、例外的な要素は手に入りにくいかもしれないが、この要素は、あるいは他にも色々ありるのかもしれない。そうすると我が社にもあるかもしれないということになる。(ただし、要素という表現にちょっと引っ張られてしまったが、この場合には、その要素を使いこなす能力こそが大事だということになりかねない点は注意。能力も同じで、一般性のあるものがいいのか、それとも例外的なものでもいいのかは同様の問題である)。

あるいは、ストーリーという点では、知っていることよりも知らないことを知りたい。一般性という当たり前の話よりも、知らなかった新事実を知りたい。最近の大河ドラマが面白いのは、最新の研究知見を反映させているから(いくつかは空想的で狙っているとしても)であろう。本能寺の変の理由を我々は知りたいのであり、四国原因説は驚きであり、その成否を読みたいのである。当然、これもまた研究である。それに一般性があるかどうかを問う人はいない。本当かどうか、妥当かどうかを知りたい。ユニクロの成功の理由を知りたいと思う時、他の企業にも共通する理由を知りたいのではなく、独自の理由を知りたいと思う。それが本当かどうか、妥当かどうかをやはり知りたいと思う。事例研究の意義は、そんなところにあるように思う。


2021年06月30日 | Posted in エッセイ | タグ: No Comments » 

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