みんな非合理的に動いているとして、どうする?GOする?

人はみな非合理的というと言い過ぎな感じですが、人はみな限定合理性のもとで動いているということですね。この発想自体は大事で、どんなに賢い方であっても、十全に世の中を見通せるわけではないし、往々にして変なこともするものだというのは、ある意味常識的かもしれません。

予測できない世界。問題は、で、どうする?ということです。

1)その前提に立って、ものごとを考える必要があるよ。GO

1点。そうだね、といってしまいたくなりますが、これは一番要注意パターンです。上の問いから、この答えに帰結してしまうのはよくないです。なぜならば、そもそもの前提として、人はみなそのようには考えられないよと言っているのですから。具体的に主語を立てるともっとよくわかります。みんな、非合理的に動いているから、私は、私だけは、それを前提に「合理的に」ものごとを考えるよ、ということになりかねないからです。もちろん、ここまで強くは考えておらず、ちょっと気をつけようという程度のことかもしれません。しかし、この答えが危険であることに気づいていないという時点で、程度の問題ではなくなっています。私は騙されないけれどみんなは騙されるであろう、といった感覚は、誰しもが持っているものです。上の問いは、しばしば賢い方が言いますので、そこから逆にはまっていつの間にか自分だけをみんなから外してしまうわけですね。本当にこれは要注意(自戒も込めて。。。)

2)その前提に立てば、もはや考える必要などないよ。GO!

2点。これもそれはそれでありですが、答えとしてはなんというか、それ以外を考えてほしいというところです。せっかくどうしようか考えているわけですので、それを今やめてしまうのはもったいない。相対主義的な何でもあり的な発想を想定しています。ちなみに面白いのは、1にせよ2にせよ、何か答えは出せて動けるようになっているのはすごいことです。どうする?で止まっているのは0点。

3)その前提に立って、「みんな」で考えようよ。

7点。このあたりからは悪くない気がします。集合知に期待するということはありえます。みんなの意見は大体正しいという時、個々人の非合理性は、集団になることで解消されると考えるわけです。もちろん、一方で、集団が間違えることも往々にあります。一人の時よりもずっと間違えることもあります。また、GOできずに、止まってしまう可能性もあります。集団で考えることが十全の問題解決にはならないであろうことは重要ですが、前進だと思います。と同時に、この解決は、1にも近い点は注意が必要です。気をつける必要があるよという指摘が、私一人ではなく、私たちになっているわけです。これが、私たちだけ「が」考えることができるよとなれば、再び危険な1へと戻ります。みんなで考えられるとするためには、みんなは常に全体に開かれている必要があります。

4)その前提に立って、都度都度見直していこうよ。

8点。個人的にはこのぐらいの言い方がいいように思います。あなたも非合理的だし、私も非合理的である。うまくいかなかったときには、一緒に考え、都度都度見直しをかけていくのがいいよというわけです。これも3と同様に完全ではないですが、ダメだったり、うまくいかなかったり、予想外のことが起きたときには、都度都度見直すことが重要です。


2022年06月16日 | Posted in エッセイ | | No Comments » 

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