学校の勉強は将来の役には立たないということ(こどもの意見)
先のブログで、「学校の勉強は将来の役には立たないということ」を書きました。特に反響はありませんが、コ・インシデンスといいますかなんといいますか、ちょうど、うちの子から同じ話を聞くことになりました。先日、道徳の授業で、「なぜ勉強するのか」を話し合う機会があったそうです。大事ですね。そろそろしっかり考えてくれ。
で、
グループワークの結果は、「親の自己満(足)と自分の将来のため。」だったとのこと(笑)。
よくわかりますね。勉強しろしろいうのは、学校の先生か親です。当然なんで?ということになりますが、将来のためーーーとしかいえないですからね。それは職業の自由と・・・と言いたいところですが、そんな面倒なことを言ってもしらんがなとなりそうです。子供からみれば、なんにせよ親の勝手な話ということになるでしょうし、ただ将来自身は自分のことですので、まあ勉強自体はいるのかなと、形式的には一歩引いてみてもよいということでしょう。
「将来のため」という説明は、しばしば、将来良い生活や良い人生を歩むためということにつながります。しかし、「将来」良い生活をするために、「今」苦労するという論理は、「今」良い生活をしたいという論理に特に秀でるわけではありません。今も将来も、楽しくやってもらうことが第一です。その中で、少し折り合いをつけながら、将来にもだんだんと目を向けていってねという感じがいいでしょうか。少なくとも、勉強すると良い大学に行けて、良い会社に行けて、給料も良いよみたいなことを言い始めると、このご時世に親アホやな、いやそんなアナタの子供たる私には無理でしょう、、、と賢い子供であればあるほど、読み込んでしまうかもしれません。
そんなことが走馬灯のように巡りました。その上で、間を埋めるべく、それでもということで、それは難しいところでしてね、、、と思い切ってこちらが話し始めてしまいました。内心、あ・・・面倒なことをこれ以上言わない方がいいかもとは思ったわけですが。
ただ幸か不幸か、すでに子供の興味はこの話になく、ケータイで遊び始めておりました。それはそれでよかったのかもと思ってこの話は打ち切ったわけですが、そのうち、子供の方が今度はケータイに向かって何か言い始めました。友達が「おれは社会の授業で寝ている」と書いていたらしく、そのチャットを見て、は?ふざけるなと。社会面白いだろうがというわけです。
・・・お。じゃあ聞いてくれなくてもよかったです。それならば安心です。こないだ魏志倭人伝見せてよかったです。
勉強を何かのためにするという限り、勉強をする理由を探し続ける必要があります。勉強はそれ自体が目的であって、それに理由などないと思います。本人が気づいていたかどうかわかりませんが、なぜ勉強するのかという問いに対しては、むしろ怒って、なぜ、そんなことを問わねばならないのかと向こうに返さねばならないのですよ(本当にやってしまうと先生びっくりなので心の中で)。
攻殻機動隊よろしく、好奇心が大事。それもまた、親の自己満かもしれませんが。