デザインやデザイン思考など

このところデザインという言葉や考え方が経営学でもよく使われます。個人的には、昔レビューか何かを書きましたのでそれ以上でもそれ以下でもありませんが、先日の商品学会でのGK京都の榎本社長のお話が興味深かったので備忘録がてら。

日本を代表するデザイン会社の一つであるGK京都は、最近ではより上流過程においてビジネスと関わるようになっているということで、デザイン・コンサルティングやクリエイティブ・ハブといった活動や表現を用いるようになっているということでした。この辺りはお話しされていた意匠と設計という区分であったり、small dとbig Dにも対応するところだろうと思います。昨今は意匠レベルではなく設計レベルでのデザインが重視されているわけです。

それはそのとおりだろうと感じます。と同時に、前から考えていたことは、こうした設計は、もはや設計であってデザインやデザイナーに固有というわけでもないのではということでした。実際、この手の設計に関わるような企業や、総じてデザイン重視を標榜する企業は今日多く、これらは特にデザイナーによる企業でもない以上、そこにあるのは象徴的なネーミングというだけです。

こうして抽象化されたようなデザインは、今日ではデザイン思考のような言い方もされる気がします。ただこの場合は、もう少し意匠レベルにおけるデザインやデザイナーの業のようなものを指す感はあります。開発の手順であったり、特徴的な考え方であったり。

そんなことを思っていた中で、GK京都さんのお話が面白かったのは、最近はただのデザインではダメだと言われることがあるという点でした。「ただのデザイン」、いい言葉だと思います。ただのデザインというとダメなデザインという感じもしますが、同時に、デザインそのもの、本当のデザイン、デザインの本質であるようにも思えたわけです。具体例としてあげていただいたのは、ベストで当てはまるものではないとしながらも、サーモスのボトルや初期の無印良品にみるようなデザインでした。まさにデザインそのもの、という感じです。

いわゆる純粋なボトルそのもの、椅子そのもの、原型やプロトタイプと呼ばれるようなものが該当するのではと思いました。思い出したのは、「デザインのデザイン」の一節です。冒頭にコップの話が出てきます。誰でもコップを知っていて、誰でもコップを書くことができる。だが、実際にどこからがコップでどこからがお皿なのかのようなことを考え始めると、何がコップなのかわからなくなるはずだといった話が紹介されています。そしてここから、それはコップについてわからなくなったのではなく、よりわかるようになったのだとして、これをリ・デザインと呼ぶといいます。

おそらく、ただのデザインとは、コップそのものです。それは理想型ですが、常に問い直したり、考え直すことができるような作りになっています。そういう仕組みを動かし、新しいコップを作っていくことがデザインらしいところであり、デザイン思考のようなものであり、設計にも関わってくるところなのかなと思いました。


2023年01月28日 | Posted in エッセイ | タグ: Comments Closed 

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