才能と努力と

大谷選手が凄い成績を残し続ける今日この頃。昔イチローがすごかった時に、野球を見に行けばよかったなと思う今日この頃でもあります。何かに熱狂して海外に行けると言うことは大事なことです(普通はコストや手間を考えてやめてしまうもの)

大谷もイチローもどちらも天才であり、才能も努力も両方あると思うのですが、個人的な印象で言うと、大谷は努力重視で、イチローは才能重視で捉えているような気がします。大谷だと曼荼羅チャートが有名なところで、計画を立てて何十年と準備していく。今でも野球に専念し、試合が終わるとすぐ帰って寝る(らしい)といった印象です。一方でイチローはと言うと、確かに子供の頃からチチローに鍛えられてきましたし、かといってドラフト一位だったわけでもなく努力も感じますが、なんと言うか天性のバットコントロールのような感じでヒットを量産するという印象がありました。

個人的にあわせて天才のイメージを持っているのは、将棋の羽生さんと藤井さんです。当然、時代的に見て、イチロー・羽生、大谷・藤井というセットの感覚があります。となれば、才能と努力についても、羽生さんは才能で驚くべき一手を出す感じがあり、藤井さんはAIで訓練してAIを超えていくような感じがありました。もちろん実際には、どちらも努力の人であり、才能の人でもあると思うわけですが。

もう一つ全然別の視点で言うと、ドラゴンボールとワンピースを挙げることができます。こちらは、時代的には逆になりますが、ドラボンボールが努力を見せるアニメで、ワンピースは才能を見せるアニメという印象があります。

現実には両方必要なことは言うまでもないですが、才能か努力かという対比は、天才を語る上での基本的な構図だろうと思います。昔は現実では才能重視が見えており、アニメでは逆に努力重視が語られてきた。今は逆に現実では努力重視がよく見えるようになっており、アニメでは才能重視が語られるようになっている。

とかそんなことを考えてもいいのかもと思いましたが、あんまり意味のある区分ではないのかもしれないですし、だからどうなのかな、、と思うところでもあります。最近のアニメでもヒロアカとかは努力型のような感じもしますし、一応の備忘録として。


2024年09月09日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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