傘がない

先日適当に音楽をかけていると、ACIDMANが「傘がない」を歌っていて、あれ?おー!となった次第です。最近トリビュートアルバム増えてますかね。改めて検索してみると、色々な人が井上陽水の曲を歌っているみたい。

最初のリリースは1972年とのこと。生まれる前ですね。子供の頃CDか何かで聞いた気がしますが、なんだこれは?と思った記憶はあります。

歌詞そのものはよくわかる(気がする)話で、大きな社会問題よりも、目の前の自分の問題的な感じかと思っていました。そうやって閉じていく(しかない)悲壮感もありますでしょうか。冒頭の自殺する人が増えていたり、テレビで国の将来を深刻に話す誰かがいたりするのは、なるほど昔からなのかなとも。

改めて今聴くと、昔感じた「なんだこれは?」感とともに、その先の展開が感じられます。「傘がない🎵」ときたところで、ボケとツッコミが成立してしまうというか、笑いに変わってしまう感じです。テレビも、それからネットも、社会問題はワイドショー的ネタであり、大喜利の対象になってしまっている時代です。(その意味では、なんでやねん!リミックスバージョンもありかも)

それでも、ACIDMANの曲に合わせて聴けば、現代でも十分当時の感覚を維持できます。合わせて、最後の転調?マイナーからメジャーに変えた感じで「行かなくちゃ」を歌うあたり、笑いになったというよりは、ポジティブになっているという感じもしました。雨が上がってきて、徐々に明るくなっていくような。「それはいいことだろう?」の先として、突き抜けた感があります。これは新しい感覚。(「傘がない」までさらっと歌ってしまい、「行かなくちゃ」を強調している構成のせいかも?オリジナルもそうだといえばそうですが。)

雨が上がっていく感じがする曲だと、奥田民生のコーヒーとか、フジファブリックの陽炎とかも近い感覚持ちますかも(単に雨繋がりかも)。だったらこのさい、ACIDMANには、小室等「雨が空から降れば」(1970)も新しくして欲しいです。


2024年10月10日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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