論文(や本)が完成すること

卒論や修論のシーズンになると、早めに終わらせようという意欲的な方が出てきます。いいことですが、厄介なことに、論文は終わることがありません。。。書けば書くだけ、次に新たに書くことや書けることがでてきます。そのうちに本になり、それでも次に書くことがでてきます。

さらに厄介なことに、この書くことは、本人が書きたいと思っているのかどうかとは別の問題です。本人も書きたいと思っていればベストですが、本人はもう満足かもしれません。しかし、論文そのものは、本人の意思とは別に、常にまだ書かれるべき状態であるわけです。大変ですね。

さらにさらに厄介なことに、完成した(と思った)論文は、さらに良くなるために、一度解体される必要があるかもしれません。レベルが上限に達すると進化してまたレベル1に戻るみたいな感じでしょうか。こうなると大変な意思決定と労力が必要である(ようにみえる)ため、もういいんじゃないの?無理と思いがちです。この感覚は卒論や修論に限らず、研究者の論文執筆でも同じように見えます。戦略的には、解体前をとりあえず紀要にでもしておいて、改めて解体に挑戦すればいいでしょうか。

卒論や修論は、幸いなことに、締め切りがあります。卒論や修論の完成とは、個人の満足や、論文それ自体の希望とは無関係であり、締切のことだと思った方が良いです。締め切りのその日にできているものが、どんな内容であれ、完成された卒論や修論です。そこまで固着することで、内容はより良くなるでしょうし、よりいいアイデアも思いつくでしょう。(もちろんこの話は、早めに終わらせようとしている場合の話であり、そもそも出来上がっていないものは、提出されてもダメですが。そういう意味では、一定のレベルとして完成を捉えることもできるかもしれません)

締め切りがない場合は厄介です。論文は常に更なる完成を求めているとすれば、止める作業は自分だということになります。それこそ、見切って早めに終わらせるという戦略もでてきます。寝かしておくという選択もありそうです。しかしいずれにせよ、どうするのかの着地点や通過点を考えておく必要がありそうです。一番簡単なのは、XなどSNSに投稿してしまう。次はブログやnoteに書いておく。それから紀要や学会報告にしておく。学会報告なら締め切り機能も生じます。その上で、投稿戦略や執筆戦略を立てることになりそうです。


2024年11月07日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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