体系的に学ぶということ。無理かも。

何かを勉強したりする時、「体系的に学ぶ」という表現がよく使われるように思います。包括的に学ぶとか、全体的に学ぶとか、意味合いとしてはそんな感じかもしれません。体系的、システマチックということで、もう少し要素感の繋がりが強調されている可能性もあります。

個人的には総じて苦手な感じです。体系的に学ぶということに個人的にあまり興味がないということもありますし、それは無理という印象を受けるということでもあります。

包括的や全体的という場合には、絶え間ない作業という感じになります。勉強は基本的にそういう作業なので、あえて体系的に学ぶという必要はなさそうです。

もう少しシステマチックという意味では、苦手感が増します。たぶん、体系というものは確固として存在しているわけではなく、特定の目的によって異なって組み合わされるので、その特定の目的の方が気になってしまいます。このあたりは、人による価値観の違いでもあり、確固たる何かの存在を認めている人が体系的に学びたいと思いやすいのかもしれません。

では、実際に何を学ぶ際、何をどのように学べばいいのかと思うかもしれません。適当にばらばらと学べば良いのか。一つ目の答えはその通りです。目についたものから学べば良いと思います。効率を求めず、一つ一つ学んでいけば、やがて「体系」が見えてくるはずです。

そんな面倒なことは嫌、回り道はしたくないという場合には、冒頭に戻って、「体系的に学ぶ」ということの意味が違っていたというだけです。「効率的に学ぶ」ということだったわけです。

それでも効率的に、かつちょっとは体系的ぽく学びたいというのであれば、それは歴史的に学ぶのが良いと思っています。あるいは、歴史を学ぶということです。マーケティングを体系的に学びたいというのであれば、何かの目的に従って取捨選択された「体系」を学ぶのではなく、おそらく誰もが理解できる目的となりうる時系列や歴史に沿って、マーケティングの発展や変化を学ぶことができます。これはこれで、「体系」であるといえるかもしれません。


2024年12月22日 | Posted in エッセイ | タグ: Comments Closed 

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