技術そのものは善でも悪ではない、わけではない
よく聞くセリフの一つ。「技術そのものは善でも悪ではない」。続いて、だから使い方が大事。
AIそのものは善でも悪でもない。使う人によって、解放の道具にもなれば、支配の道具にもなる。とか(しかしAIは人っぽいしなと思うかも。)
確かに、技術にせよ自然にせよ、それから人間自体もまた、それ自体として善とか悪があるわけではなく、まずは存在があるだけではある。ただ同時に重要なのは、そのような存在は、そもそも存在しているとは言えないということである。
技術そのものとか、自然そのものとか、人間そのものはこの世界には存在していないという事実から始める必要がある。どのような技術も、自然も、それから人間も、この世界に組み込まれることで存在しているのであるから、その組み込まれによってすでに善であったり悪であったり、あるいはより中立的であったりしている。(それを人間が可能にしているという意味では、人間という存在は特殊で二重)。
この事実は、特定の技術に対して色々な視点があるという素朴な認識よりも根本的である。この世界には、まず特定の技術があり、それに対して色々な視点があるのではなく、技術という存在は(あるいは他の存在も同様に)、この世界への登場時点ですでに善であったり悪であったりする。
もちろん、このことは技術そのものやある種の物質性は意味がないということではない。繰り返していえば、それはきっと確かに存在している。だからこそ、世界はそれを組み込むことができている。
そもそも、「技術そのものは善でも悪ではない」という言葉自体が、特定的で偏っている。この言葉の続きは、すでに確定されている。「技術そのものは善でも悪でもない、だから、その技術はいらない。」という人はいない。「技術そのものは善でも悪でもない、だから、技術開発を進めよう。だから、良い方向にその技術を使おう。」と人はいうだろう。技術とは何かとして使われるように生じている。
とか、、昔読んだような記憶を辿って読み直そうかなと思ったのですが、ファイルが見つからないです。。。『純粋な技術』の神話 : 技術系ベンチャーの創業を巡る技術ネットワークのマネジメント。改めてAIみたいな人みたいなものが出てくるとどうなるのかなと思ったりした次第です。









