外資系に行きたい人とニートは同型だと思う件

1 外資に行きたい人

最近書いてなかったので、短い文章ですがアップしときます。

大学で働いている以上、大学生に接する機会は多い。直接話をするとなると機会はだいぶ減るけれど、それでも、話をすることもある。どうでもいい話も多いけれど、まあ、将来どうしたいの?なんて話は天気の話みたいなもので、定番の会話である。

僕たちが学生だった世紀末もそうだったように思うけれど、「外資系に行きたい」という学生は意外なほど多い。理由は明瞭で、自身の力を試したいからだという。なるほど、わかりやすい。外資系のイメージは、いわゆる成果報酬型で実力主義だから、自分の実力に合った給料がもらえそうだ。逆にいえば、日本型ともいえる年功序列では自分の力を試せないというわけだ。

だが、まずもって、年功序列では自分の力を試せない、というのは間違っている。年功序列だろうが成果主義だろうが、仕事はあるのだから自分の力は試せるし、評価される。だいたい本当に自分の力を試したいのならば、起業するなり、政治家に立候補するなりした方がいい。たぶん、成果報酬型と年功序列が違うのは、それがお金に直結するかどうかの話である。

ということで、視点を変えて、外資系に行きたいのはお金が欲しいからという理由もありうる。こちらの方が直接的な理由かもしれない。けれどもこれも問題を孕んでいる。お金を得るためには、外資系で成果を上げなくてはならない。これは暗に、自分を試したいという謙虚な気持ち以上に、「俺は優秀」(だから、外資系の実力主義ならば稼ぐことができる)という自信が入り込んでいる。当然のことながら、無事にお金を得られる人はそれほど多くない、というか、圧倒的に少ない。「俺は優秀」は、認めたくないものだな、若さ故の・・・という気がする。

まあそれでも、夢を求めて「俺は優秀」を陰にも陽にも主張することは悪いことではない。人のことを言えたものではないわけで、僕も昔はもっとやれると思っていた(笑)もうちょっとテキパキやれると、、、でもなかなかね。

でも、幸か不幸か、僕には相当なやる気のなさも同居していたわけで、おかげでこんな話をすることになっている。そういえば、昔高校生の頃に、「お前には『努力』という言葉が決定的に欠けている。それが結局はお前の実力」と言われたことがあったけれど、、、お見事当たってるね。壁は登るものではなく、避けるもの(そういえば、これは壁によるアフォードだろうか。登りたい衝動は単にアフォードされているのだろうか。)


2010年08月14日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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