これはとても薄いと言うべきか、それとも、これは5mmですと言うべきか
先日研究会でお話しさせていただく機会があり、思い切って(笑)、本質直観について話をした次第でした。このテーマは本を読んでいただければすぐにわかることですが、とても難しい内容でして、そもそもわかりやすくしようのない話でもあります。具体例で示すとか、数で示すということができないという主張そのものを(それ以外に方法によって)どのように伝えるのか、一緒にやるしかないねというのが一つの答えです。
そんな中で、それでも話を聞いていただけるのはありがたいところでもあり、あれこれ話した後で話題になったのがこの話でした。これはもしかすると大事かも、と思った次第です。曰く、これはすごく奇麗ですよ、とか、これはとても薄いです、という主張は曖昧であり、一方で、これは1立方メートルあたり5個しか菌がいませんとか、5mmの薄さですよといった方が、わかりやすいし、実際支持も集められる。なるほど、そのとおりです。僕も授業でよくいいます。
話題の意図は、これは薄いというのは、何かしら本質直観的であるのに対し、これは5mmというのは反本質直観的、仮説補強型であるようにみえるのだが、どうだろうかということだったと思います。確かに、本質直観では、外部に答えを探しにいくことをまずは保留します。このとき、いわゆる数に頼るという定量的調査はまさに保留の対象になります。なぜ、それが大事だと思っているのかを考えるべきだというわけです。とすれば、5mmの薄さ系は、むしろ否定の対象に見えるようにもみえます。5mmを薄いと思っているのはなぜだろうかというわけです。
以前『マーケティング優良企業の条件』という本を複数で書きました。この中で、積水ハウスの納得工房の事例が紹介されています。実際の住宅を案内することやその中で実感することを通じて、ユーザーがニーズをはっきりさせていくという話でした。このときの印象深いエピソードとして、8mmの壁(確か8mm)という話があります。あるとき、積水ハウスの家は嫌だと言う人が納得工房に連れてこられました。聴いてみると、彼が積水ハウスの家が嫌なのは、壁が8mmと薄いので音漏れするからだということでした。確かに、他社は10mm以上の壁であり、この差が問題視されているようでした。さっそく担当の方は、8mmで仕切られた納得工房の中をみてもらいました。そして、8mmでも、十分に音漏れしないことを実感してもらったそうです。
納得工房の話を考えると、数字はむしろネガティブに作用しています。確かに、8mmは10mmよりも薄いわけですが、音漏れを左右する理由にはならない。にもかかわらず、8mmは10mmよりも薄いから駄目だろうと思い込んでいるわけです。この思い込みは、実際に体験をしてみることで修正ができました。
数字で伝えるということと、実際に体験してもらうということは、どちらもより多くの情報を提供するようにみえます。どちらも、これは薄いと言われるよりも、意味があります。音漏れの話にしても、実際に8mmだと何db音漏れするのか、という形で数値化して示せばいいのかもしれません。
もう一つそのときに思い出したのは、いわゆるブランドに関する議論です。薄いという表現はブランド的であるのに対し、5mmであるという表現は製品的で、機能的です。5mmだという製品紹介は、直ちにうちは4.8mm(世界最薄)であるという競争を招くでしょう。これは、マーケティングとしてはあまり魅力的に思えません。「薄い」を「薄い」という表現のままにとどめるマネジメントこそが、マーケティングとしては求められているような気もしました。
なんにせよ考えていくと、薄いですというのと5mmですという違いについて、とりあえず本質直観的な対比を読み取る必要はない気がします。5mmが薄いかどうか、あるいは、8mmは音漏れするのかどうかという数字と意味のつながりについて理解ができているかどうかが、ここでは重要になるということでしょう。5mmや8mmはもちろん客観的ですが、その数字に結びつけられた意味が誤解にもとづくのであれば、それは修正される必要があるということだと思います。
もともと本質直観で指摘した数字の問題は、基本的に個数の問題に関わっていると考えられます。たくさん集めれば、一般性が得られれば、それは真理であろうという誤謬。その数え上げの可能性自体を問題にするわけです。真理は、一般性として与えられているわけではなく、直観しているという持続の側にあると思います(最近「哲学的直観」を読んだので、ちょっとその影響を受けてみました)。