創造的適応という言葉の悲壮感

2021.6.17 ちょっと追記修正。

このところ本にならないかなと思ってあれこれ調べ直している。そんな中で、どちらかというと最近ポジティブな言葉で使っていたような創造的適応について改めて思い直した次第。

マーケティングは創造的適応(creative adaptation:こういう英語がもともとあるわけではない気がする)である。ウェブで確認できる石井先生の2010年の巻頭言では、J.A.ハワードの言葉だとされている。あわせて、日本では石原先生が「マーケティングは、みずから、適応すべき基盤を創造する」と述べたともされている。実際英語表現は、石原先生の『マーケティング競争の構造』の40ページにみられる。

「マーケティングは消費者需要に消極的に適応しているのではなく、まさに『創造的適応』(creative adaptation)を行うのであるから、それが消費者需要のあり方を変化させることにもなる(40)。」

面白いのは、「お二人の拠って立つ学問的前提は大きく異なっているので、結論が同じというのはいささか不思議」という記述だが、前者がポジティブで後者がネガティブだとみれば、大体対応するのかもしれない。

石井淳蔵,2010,価値の創発と創造的適応,マーケティングジャーナル,29 巻 4 号巻頭言
https://www.jstage.jst.go.jp/article/marketing/29/4/29_2010.014/_pdf/-char/ja

同様の表現は、嶋口先生共著の『マーケティング優良企業の条件―創造的適応への挑戦』の副タイトルでもある。書籍内でもハワードの言葉として紹介しており、ポジティブな意味合いが強い。石井先生の『マーケティングを学ぶ』でもポジティブに使われている(たしか)。

一方で石原先生の方は、直接的にはガルブレイスを経由しており、トーンが異なる。そもそもガルブレイスはかの『ゆたかな社会』において次のように述べていた。

「近代的な宣伝と販売術は、生産と欲望とを一層直接的に結びつけている。宣伝と販売術の目的は欲望をつくり出すこと、すなわちそれまで存在していなかった欲望を生じさせることであるから、自律的に決定された欲望という観念とは全然相容れない(203)」。

「実務家や一般の読者は、わかりきったようなことを私が強調するので、とまどいされるであろう。たしかにわかりきったことだ。しかしこれは不思議なほど経済学者が反対してきたことなのである(204)。」

マーケティングにせよ生産にせよ、それが「適応」であることは反対しない。だが、それが「創造」であることは、多くの研究者にとっては認められないというわけである。理由は簡単であろう。私たちの欲望が私たちの純粋な気持ちではなく誰かに作られているなどということは許されないからである。そして、100歩譲ってその現実を認めるのならば、そもそもこの社会はなんのために生産活動に勤しんでいるのかということになる。みんなが必要としているからこそ、頑張って生産してきたのである。だが、その必要が当の生産によって生産されているとすれば?

「昔から理想の社会についていろいろの説があったが、リスの車輪のようなタイプの社会を提案した人はいなかった(208)」

そう考えると、創造的適応が意味することは随分と悲壮的で、よりネガティブになる。何をしているのだろうという気にもなる。だが、この仕組みが発明されなければ、この社会はとうに終わってしまっていただろう。石原先生やガルブレイスの議論はより正確には、マルクスの延長線上にある。なぜ、彼がいうようにこの社会は終わらなかったのか?マーケティングが単なる適応ではなく、創造として機能し始めたからである。

悲壮感からネガティブさを取り除いてポジティブさだけを取り出していくのは近年の潮流であり、ある意味マーケティング的であると言えるけれども、今回はどこまで議論しようかなと少し迷ってきたところ。

改めてハワードという人はどう考えていたのかなと思うところ。おそらく、『マーケティング・マネジメント』にある次の一文が「創造的適応」に該当する箇所であるように思われる。

「それは広告マンがよく口にする『広告は不況に対抗する有効な手段である』という言葉に示されるような、環境を修正する会社の自由を誇張することを避けるし、同じように、別の極端、つまり、経済学の文献に見られるような、会社はその環境に受動的に順応するものであるという考え方も回避するのである(4)。」

少なくとも第3版では、後段にガルブレイス批判も掲載されており、そんなに石原先生とも変わらなくなっていくのかもしれない。と同時に、上記の文章自体は、企業やマーケティングにはアンコントローラブルな部分とコントローラブルな部分があると言っているに過ぎない。「管理可能な側面とは、管理不可能な環境に適応するために、会社がとる手段のことであって、その会社のマーケティング実務をさす」というわけである。しかも、管理不可能な環境に「需要」が位置付けられている点は注目に値する。ハワード自身は、ここでの主張に、そこまで強い意味を考えていなかったともいえる。


2021年05月20日 | Posted in エッセイ | タグ: No Comments » 

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