論文を書くためには論文を読まなくてはならない(25年前比100倍)
※我々の分野での学術論文とか査読論文の個人的なイメージです。
論文では、良くも悪くもオリジナリティが求められます。当然、オリジナルであるためには比較対象が必要であり、これが既存論文となります。大事なことなのに既存論文にはないことを示したから、オリジナリティがあるというわけです。
ということで既存論文を調べたり、知っておく必要があります。知らなかったり、議論できないと、当然論文を書くことができません。ただこの作業は手間でもあり、なかなか難しいことです。以前も、この作業にはそれ相当の訓練がいることを紹介した気がします。
この作業は、以前にも増して大変になっています。ネットのせいかもしれません。
25年前、ちょうど自分が院生だった頃と比べ、体感比で100倍読む必要があります。実際に論文が書けている人はそうなのだろうと思います。
25年前、少なくとも自分が読んでいた論文雑誌は、両手に収まる程度でした。メインに読んでいた論文雑誌だけにすれば、片手でも収まったかもしれません。ところが今や、論文雑誌がたくさんあることは明白であり、無視できるものではなくなってきました(偉い人は改めて絞り込めるのかもしれませんが)。ランキングサイトのようなものを見ればわかるように、Q4まで入れてしまえば、マーケティング関連の論文雑誌だけでも簡単に200を超えてしまいます。これらに関連領域を含めれば、4、500どころか1000ぐらい容易に到達するでしょう。要するに、論文雑誌の数がすでに100倍だということです。しかも季刊だったものも月刊になり、毎年どんどんと蓄積され、新しいものはオンラインファーストとなっています。
今では100倍の論文を読むこと自体が可能になっています。ネットはもとより、AIを駆使して読めてしまいます。25年前の人から見れば、より少ない時間で必要な量を容易に読めるようになったと思うかもしれません。しかしながら、これは間違いです。繰り返しでもありますが、楽になったのではなく、時間や手間そのものは増えていると考えた方がいいように思います。良くも悪くも技術革新を利用して、より論文の数を読むことが求められています。
論文を読む方法は他にもあります。みんなで読んだり、学会に参加したり、協力することで幾分かは楽になりそうです。
協力という点では、論文を読める人に確認する作業も重要です。独学で論文を読んでいると、往々にして、読んではいけない論文(あるいは、筋が悪い論文)にハマることになります。目利きができるようになるためには、たくさん読むだけではなく、読める人に確認する必要があります。たくさん読みながら、それらの良し悪しも考えていく。ハマるのも面白いと言えば面白いのですが。。。
ということで、ガンガンと片っ端から読むのがいいです。効率よく絞り込もうとか(なんちゃってシステムレビューとか?)、定番ぽいものだけでいいやとか(実はそれも読んでなかったり。。。)、そうなってしまう人には論文は書けません(まあそれは昔からでしょうけれど)。
もちろん、学術論文や査読論文を目指さないものは、これに限りません。既存論文を読むことに時間を費やすよりも、本当に考えるべきこと、本当に知るべきことに力を注ぐのが上策です。










