飽きずに固執できること

論文とか本とかってどうやって書いているのかと聞かれることがあります。日本語についてはなんか書くことが好きだからですかね、、的に答えます。こうやってブログにあれこれ書いているのも、だからどうしたいというよりは、単に書くのが自然な感じというだけのような気がします。人によっては、テレビを見たり、掃除をしたり、音楽を聞いたりするのが日常的で自然な感じなのと同じでしょうか。

この手の自然にできたり、続けられる感じという点では、ゲームがよく似ていると感じます。昔ほど集中してゲームすることは無くなりましたが、例えばスマホでちょっとしたパズルゲームでもしようかという時、結構断続的に続けることができます。30分ぐらいやって、上手くいかなくなってやめて、でも1時間ぐらいしたらまたなんとなくやろうかなという気になっている。この感覚は多分誰でもあるところで、ゲームに自然に固執できているのだと思います。ゲーミフィケーションが重要だと言われる所以でもあります。

一方で論文や本です。ただ、改めて考えてみると、こちらはそう思う時と思わない時があります。ちょっと書いて、詰まってやめて、でもまたしばらくすると書き始められる時と、詰まってやめたまま、再開できない場合があります。後者の時間が多い人は、論文や本が書けないのだろうと思います。逆に、前者である程度行ける人は、内容はともかく、何か書けるのでしょう。

どうすれば前者の感じでいけるのかと考えると、そのために色々な手を打てる気がします。ゲーミフィケーションは一つでしょう。小さな目標を立てる、ワンパラグラフずつ書いて休憩する、一個論文を確認して休憩するみたいなこともできそうですし、書けた時に何か食べるとか、そういう報酬設定も可能かもしれません。

以前からそうだったのですが、個人的には、音楽をかけると比較的継続できます。ヘビーメタルがおすすめで、ジャズとかだと眠くなるリスクが高まります。あとは定番ながら、締切は重要です。期限が迫ると、なぜか書く気になったりしますよね。この手の感覚は、おそらく動物的な習性です。人間ですので、自身の動物的な習性をうまく利用することも大事だと思います。夜眠くなるのは必然ですから、夜は仕事をしないとか(あるいは冴える人もいるかもしれませんが)、怒っている時はテンションを高く維持できますので、この気持ちを論文や執筆にすり替えるとか(査読なんかはやる気になりますよね笑)。


2024年06月15日 | Posted in エッセイ | タグ: Comments Closed 

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