役に立たない研究と面白くない研究と

研究上よく話題になるテーマに、「この研究はなんの役に立つのですか」問題があります。SNSなどでもよく議論になっていますね。主に理系の感じですが、我々も大なり小なり意識しないと生きていけない今日この頃です。昔『企業と市場と観察者』を書いた時にも、リガーvsリリバンス(レレバンス)の章を設けています。誰も読んでくれないですね。

そんなこんなではありますが、ちょうど先日Twitterを眺めていましたら、役に立つ・立たないの一軸ではなく、面白い・面白くないのもう一軸を足して考えたらどうかというツイートをみかけました。あーそうかもなと思いながらも、これだと役に立たなくて面白くなかったらやっぱりダメなのかなとも思いまして、絵でも書いてようかと思った次第です。

役に立つかどうかにせよ、面白いかどうかにせよ、これらは、時間的な広がりと空間的な広がりを持っているように感じます。時間的というのは、今、役に立つのかということであり、よくある役に立たない研究の言い訳は、いつか役に立つかもしれないのだという言い方でした。同様に、空間的にというのは、誰かの役に立つかどうかということであり、時間的と合わせて、いつか、どこかで、役に立つ、かもね!(とりあえずAdo風にどうぞ)。という構成になります。

そう考えると、役に立つ軸と面白い軸は、時間的なパターンと空間的なパターンで2種類に分けられます。特に空間的なパターンは、他者の範囲だとしますと、一番小さいパターンは私だけという形になります。私だけの役に立つ。私だけが面白い。これであれば、最初の一般的なパターンの最悪パターン「役にも立たず面白くもなくどうしようもない」を回避でき、せめて私だけは・・・という領域が守られそうです。私にとって役に立たず(たとえ不本意であろうと)、または私にとって面白くないことはしないでしょうし。。。

研究は、結局のところ、私だけの面白さや私だけの有用性を、「みんなにとって」面白い、「みんなにとって」役に立つという形に変換していく作業だと思います(その手段としてリガーもある)。その意味では、今は面白くなくとも、役に立たずとも、私にとっては面白いのだから、それをみんなにとってもいつか面白く、役に立つようにしていこうという気持ちと実践が大事そうです。

この手の議論はいつもあり、時々開き直ってどうせ私の研究は面白くもないし誰の役にも立ちませんよと言ってしまい、それこそうっせぇわになるわけですが、多分ほとんどの方は、でもいつか、どこかで、誰かの役に立って面白いと思ってもらえたらとも空想するわけで、その循環が許容される枠組みが肝心です。人はそんなに一貫して高尚ではいられないし、世界の不条理にいいちこでも飲んで毒付きたいときもあるわけですよ。それでもまた普通は戻ってくる。かもね(ビリーバンバン風で)。


2021年05月24日 | Posted in エッセイ | タグ: No Comments » 

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