理論にもとづくことと、理論を批判すること
そういえばと思ったのでちょっとバラバラなままですが備忘録。
一般的に、研究では、ある理論を批判して、その理論の刷新を目指します。批判や刷新といっても、ダメ出しすると言う意味ではなく、むしろ評価と発展といった方が正確な感はあります。いずれにせよこの時の理論は、刷新され発展される対象となります。
一方で、研究で理論という場合には、それにもとづいて分析を行うという表現もあります。この手の使い方は、事例研究に多い感はあります。例えば、資源依存論にもとづき、取引依存度がどのように変化していくのかをみてみようというわけです。
理論にもとづいて分析することと、理論を批判、発展させるべく分析することは、似ているようでいて違います。理論にもとづく場合は、理論は一種のサーチライトの役割を果たします。事例のどこに焦点を当てれば良いのか、どのように捉えれば良いのかを示します。一方で、理論を批判・発展させる場合には、理論はサーチライトであるともいえますが、より積極的に変更の対象となります。
理論にもとづく場合も、もとづいて分析した結果、理論とは異なるものが得られる可能性はあります。その結果、理論が刷新されたり、発展されるかもしれません。しかしながら、それは結果であって、事前に想定されることはありません。結果でなく、事前に想定できるのならば、理論の批判、発展を目指す議論となるでしょう。この場合には、「・・の理論や枠組みを用いて分析する」のではなく「・・の理論や枠組みは・・の限界があり、・・の形で刷新・発展させるために分析する」という必要があります。
理論にもとづいて分析するという方法は、探索的な研究段階にみえるということでもあります。事例研究が多いというのも、このことに関係しているように思います。一方で、理論を批判、発展させるために分析するという場合には、もう少し明確な研究としての形をとっています。
さらに事例研究の場合には、理論をよりわかりやすく、具体的に説明するために、事例を用いるという場合もあります。この場合には、研究というよりも紹介や説明であり、ケーススタディや、あるいは教科書における例示のような位置づけとなります。
それから逆に、理論を批判し、発展させるための分析においても、部分的に、理論にもとづくことがあります。例えば、解釈レベル理論を批判し、発展させるための分析において、特定の仮説を新たに設定するために、その根拠として別の理論にもとづくという場合です。この際には、批判され、発展させられる理論と、それとは別に、仮説構築のために用いられる別の理論がありうるということになります。