ケーススタディを論文にする難しさ

 先日関西部会で話をさせてもらう機会があり、質的研究の可能性について久しぶりに考えることができました。昔いろいろ考えたはずなのですが、意外に忘れてしまっていることもあり、単純化していたことにも気づき、時々は思い出して考えることの重要性に気づきました。

 改めて質的研究やケーススタディの難しさを考えた場合、理論の希薄さがあるのかもと思います。例えば、ふるさと納税が面白いと思っていろいろと調べてみる。多分、事例としてまとめることは可能で、特定の地域の活動はもとより、その総体も書くことができます。ただ、そこには理論的な新しさや可能性はまだない。それはあくまで事例であって、ケーススタディ・リサーチと呼べるものにはなっていないわけです。

 この点は、いわゆる量的研究ではあまり生じないような気もします。量的研究という場合には、まず理論的な枠組みなりモデルがあり、その拡張として議論を進めることができます。例えば、推し活に興味があるという場合、推し活そのものを調べれば質的研究となりそうですが、関与の問題だと思えば、関与について聞くことになり、そのまま理論的な位置付けが与えられます。出てきた結果はすでに関与についての研究として何かの意味を持つことになる。

 逆に言えば、質的研究でも、理論的な何かを反証したり、新しく言いたいと思っているところから始めれば、理論的な位置付けを見つけやすいかもしれません。こちらも例で言えば、関西部会で話をした一致度の話で言えば、一般的には一致度が高い方が成果が高いと言われてきました。そうではない事例を探そうというのはありえますし、みつかれば論文にもしやすそうです。

 なんか面白いよね、この事例。と思った時、事例そのものの面白さではなく、あの理論を裏打ちしているから、とか、できればあの理論とは違っているから、と思うことができるかどうかが求められています。


2024年02月19日 | Posted in エッセイ | タグ: Comments Closed 

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