好奇心と向上心、あるいは探究心
並列化の時代に個として重要なものは、多分好奇心であろう。
攻殻機動隊笑い男編で語られる最後のセリフの一つであり、常々色々な側面で好奇心は重要だろうと思ってきました。ウェブを見ても色々な解釈を含めて紹介されており、共感する人は多いのだろうと思います。
その一方で、好奇心はただ拡散して横滑りしていくような感覚もあり、あれもこれも手を出しながら、結局何も残らなかったというようなこともあり得る気もしていました。だから何ということもないのですが、最近、好奇心に合わせて、あるいは近いようなものとして、向上心か、あるいは探究心のようなものももう一つ大事だったかもと思うようになってきた次第です。
ようするに、一口に好奇心といってもいろいろある。
なぜそれをするのか、したいのかという問いに対して、ただなんとなくというのも、まさに好奇心の赴くままにという感があるということです。ただなんとなくそれをしたくなる。それはあまり理由がないので、柔らかい印象もしていいわけですが、風に吹かれての脆弱な感じも拭えない。
時に、なんとなくというよりは、もう少し強く、何かしてみたいと思う。この感覚も好奇心の範疇であるとともに、先ほどのなんとなくの好奇心とは少し違う特徴も持っているように思います。こちらの方が、もしかすると個を打ち出すという意味でもともとの意味だったのかもしれませんが、この場合は、個人的には好奇心よりも向上心や探究心のようなものに結びついている印象があります。
絶対的な意味において、「より」良くなろうとすること。「より」知ろうとすること。ちょっと欲が出てきている感もあるので当初の好奇心のピュアさがなくなる感もしますが、対象に固執するような感覚や、ある種の苦しさのようなものも受け入れるという点では、こちらの方がフィットするかもしれません。なんとなくの好奇心を維持しながら、時に強く志向するという感じでしょうか。