お酒との付き合い方は、自分との付き合い方かも。

なんとなく変なことを思いついたので、少しまとめておくことにします。
人は歳をとるに従って、自分を客観的に見ることができるようになるといいます。大学生でも就活時に自己分析をしたりすることで、自分の長所や短所を再確認します。これが歳をとるに従い、表面的な話ではなく、よりよく自分のことがわかるようになるというわけです。

「自分を自分でコントロールする」というのはよく考えてみれば変な話ですが、自然にできるようになるものです。それが特に実感できるのは、そういえばお酒を飲むときかなと思いました。あ、これ以上飲んだら家に帰れなくなるかも、ということが、だんだんとわかってくるようなものです。

あるいは、それ以上に「わかる」こともあります。歳をとればお酒にも弱くなるもので、ろれつが回らなくなる経験を少し前にしました(笑。テレビで酔っ払っている人や酔っ払っている真似をする際によくあるあれですが(実際のところ、あそこまでではないにしても)、タクシーに乗って行き先を言おうとしてろれつが回らず、自分でも驚いた次第でした。

ここでは、驚けたという事実の方が発見でした。ようするに、ろれつが回らない自分と、それをみて驚いた自分(あるいは普通に言おうとした自分)が、その瞬間綺麗に分かれたように感じたのです。実際に本当に酔っ払っている人も、以外とその人自身はそれを冷静にみて驚いているのかもしれません。幽体離脱みたいな感じでしょうか。

ろれつが回らなくて気づくのは、自分の意識と、自分の身体が、必ずしも同じものではないということです。喋るといった行為は、普通は自然にできるわけで、意識と身体は一体化しています。しかし、例えばお酒の力で身体を麻痺させてしまうと(逆かもしれない。意識の力を弱めてあげると)、喋るという行為が思いがけず失敗することがある。この瞬間、自分の外部として身体が強く感じられる。

お酒を飲むということは、こうした自分と身体の距離感をはかる作業なのかもしれません(後ろから誰かに叩かれそう)。


2019年11月18日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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