「後藤新平」を調べてみる

「後藤新平」を調べてみる

先日、うちの子が唐突に「ゴトウシンペイって知ってる?」と言うので、誰それ?となった次第。学校の社会か何かで習ったらしい。聞くと、東京の街並みを作った人だという。明治維新か第二次世界大戦後の話かと思ったところ、関東大震災後のことらしい。ちょっと時間軸がよくわからなかったのですが、明治維新から第二次世界大戦の間、ということではあります。

なにぶんそういう人がいたことはわかったものの、詳しいことは分からずじまい。子供が寝た後でwikipediaで勉強してみる。学生にはwikiだけでレポートを書かないようにというわけですが、結構みっちり歴史が書かれていて参考になります。


後藤新平
「後藤 新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) – 昭和4年(1929年)4月13日)は、日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。」

もともと医者だったと子供も言ってました。だから衛生面でいろいろ考えた街づくりを進めようとしたらしい。それから当然政治家でもあり、今の都知事みたいな人?と聞いた時そうだと答えていたことにも納得。安政生まれということで「安政の大獄」しか思い浮かびませんが、昭和の最初まで生きてますね。第二次世界大戦前には既に亡くなっている模様。

歴史にもいろいろ関わった人だったようですが、とりあえず今回は東京の街づくりのところを確認する。

「19世紀中葉のフランスでナポレオン3世治下のセーヌ県知事オスマンが行ったいわゆるパリ改造を参考に・・」

「南北軸としての昭和通り、東西軸としての靖国通り(当初の名称は「大正通り」)、環状線の基本となる明治通り(環状5号線)など・・・」

東京はパリを元に作られていたんですね。。。全く知らなかった。東西を走る靖国通りと、南北を走る昭和通りが軸としてあり、その周囲に環状線が描かれる。環状線の方は明治通りというよりは山手線を連想しますが、だいたい東京のイメージと重なりました。あれですかね、帝都物語で出てきたような、東京を魔法陣か八卦みたいなもので囲った感じ?


帝都物語」(あれですね、デビルサマナーの世界観。。。)

「一方で、後藤による都市計画は、東京の都市機能拡充の引き換えに江戸以来の情緒を喪失させ、「東京を無機質な町に変質させてしまった。」との批判もある。」

なるほど。このあたりはよくわかりませんが、東京に来て、江戸時代の街並みを感じることが多くありました。江戸城から城下町へ広がる街並みは、特に両国や本所、深川へと向かうときに、おそらく時代劇のイメージとも相まって色々と感じられ、時間がおかしくなる感覚さえあります。その限りでは、いろいろ残っているものもありそうな気もします。


鬼平犯科帳」(あー本所とか深川とか、ここか、と思いますね。)

その一方で、昭和通りや靖国通りを歩いても今という感覚しかない。考えてみると、江戸−今ぐらいのざっくりした時代区分だったわけですが、間にもう少し区切りがあることに気づきました。昭和通りを歩くときには大正浪漫とか感じないといけないかもしれないです。

とまあ、調べたことを朝になったらうちの子に自慢して話そうと思っていたのですが、当然「忙しいから」と学校に行ってしまったので備忘録がてら。こういうときにウェブは便利です。


2020年01月29日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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