走ってみる

夏頃、うちの子が急に朝走ると言い出しまして、それはそれはいいことですねと思いつつ、であれば一緒に走ろうかなとふと思い立ちました。時間もないので町内一周といったところで、なんとなく長瀬先生とか松井先生を思い浮かべながら。この数年はいよいよ運動する機会も減り、ダイエットというと食べる量を減らすぐらいな話で、これって老後生活なのではと思っていたのでちょうどいいかもということです。

初日。特に事前準備もせず走り始めたわけですが、100mも走れない現実に驚かされます。体がうまく動かず、息切れする。足も痛い。子供には圧倒的においていかれ、はぐれてしまいました。これは重症ですね、、、結果的に子供を探して予定コースを二周するはめに。次の日に筋肉痛だったのはせめてもの救い。

二日目、走れなくなっているのはよくわかったので、無理せず、歩く感じで少しずつ。はぐれる前提で。三日目、四日目、と続き、1週間ぐらいは続けられました。

その頃には子供も飽き始めていて、だいたい学校でも走っているのだろうから、別に朝わざわざ走る必要もない。そんな中で自分一人で続けられるかというと、朝起きるのも大変ですし、だんだんと回数は減っていく感もあります。

とはいえ、ひきつづき数日に一回とか思い立って走ったり、自分が学校に行く途中で軽く走ってみたりしてると、あの初日の苦労が嘘のように、普通に走れるようになっていることに気づきます。いや、むしろこのぐらいは走れることがあたりまえのはずながら、歳を取るとこのぐらいの能力も維持するための努力が必要なのですね。。。

そういえば、この走れるようになっているという感覚があったのは、走り始めてしばらくして、24時間テレビがあったときでした。EXITがどうやら近くまできているようで、今から走って出掛ければその姿を見れるのではないかと思ったわけです。子供と一緒に結構全力で現場に向かい、ちょっと見れました。その際に、あー普通に走れてるなと(EXITではなく自分が)。

この感覚を維持するために引き続き走りたいところです。諸先輩方のようには個人的に難しい気がしますが、まあできる範囲で。こうやって書いておけば、やろうかなという気も少しは持続するかも。


2022年11月30日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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