「社会を動かす力」は何か?(逆から読む場合)

本書籍「応援消費 ー社会を動かす力」の制作にあたり、副題の決定には随分と時間がかかりました。主題は応援消費関連でいいとして、副題としては何が良いかいろいろ相談しました。当時の打ち合わせの資料をみると、アフターコロナ、ニューノーマル、消費社会、マーケティング、創造的適応、資本主義、贈与と交換、なぜ消費で応援するのか、などなどキーワードも含めたくさん議論したことがわかります。

結果的に、副題は「社会を動かす力」となりました。個人的には良い副題だと思いました。なぜか?本書では、社会を動かすいくつかの力を議論していたからです。

では、何が「社会を動かす力」となるのか。

一番最後のあとがきで書いたのは、人です。私たちがこの社会を動かす力であることは、わざわざ議論するまでもないことです。先日の選挙はいうに及ばず、私たち一人ひとりに、偶有的であるとしても、社会を動かす力が備わっているはずです。

とはいえ、本文中で描かれているのは、人だけではありません。再び後ろから読むのならば、次に描かれているのはコロナ禍です。私たちの社会は、新型コロナウイルスの登場で大きく変容せざるをえませんでした。社会を動かす力は、新型コロナウイルスのような突発的な事件でもあります。このことは、本文を貫通して登場する阪神・淡路大震災や東日本大震災といった出来事も含みます。

人、震災やコロナ禍、これらは社会を動かす力としてわかりやすいものです。それに対して、本文中でコロナ禍という疫病の歴史において描かれているのは、権力であり、統治の様式です。これが三つ目の社会を動かす力です。この力は、本書が主として描こうとしていた重要な力であり、私たちのこの社会だけではなく、歴史的にさまざまな形で展開されてきた力に他なりません。

今日の社会を動かす力として特にクローズアップされるのは、統治性であり、新自由主義であり、市場です。これらは本文中ではさまざまな言葉で読み変えられて登場します。しかしいずれにせよ、この社会を動かす力として、新自由主義や市場はとても有効に機能しているようです。一つの問題は、それが私たちが望む社会を作り出しているかどうかということです。

新自由主義や市場と関連して、本文中で特にフィーチャーしているのは、マーケティングです。この社会、特に本文中では消費社会と呼んでいますが、その社会を動かす力となっているのはマーケティングです。ここでいうマーケティングとは何であるのかについては、本書を改めてご覧ください。いわゆる広告やプロモーションのことではありません。これらは、マーケティングのごく表面的な活動です。

そしてあと二つ、より重要なものが残っています。ようやく第二章まで戻ってきました。この社会を動かす力がいろいろあるとして、そもそもなぜこのように社会が動くのか、あるいは権力が生じるのかという答えになるものが、贈与のパラドックスでした。本書では特に遡りませんでしたが、『構造と力』(浅田彰、勁草書房、1983年)以来の定番の論理であります。あるいは、『現代社会の理論』(見田宗介、岩波新書、1996年)でもいいかと思います。贈与の一撃が作り出す関係の成立と不均衡こそがこの社会の根源です。

そして最後に、しかし私たちはもう一度最初の章、あるいは本書を手に取ってタイトルを見た瞬間に戻る必要があります。この社会を動かす力になるものは、素朴な理解としてのこの気持ち、つまりは応援です。例え贈与のパラドックスがあろうとも、その解決を目指して高度に交換化されてしまった消費社会に生きていようとも、この社会を動かす力になるものは贈与でありつづけます。


2022年08月30日 | Posted in エッセイ | タグ: Comments Closed 

関連記事