アップストリームとダウンストリーム

天竜川

以前日高さんと書いたソーシャル・マーケティングの論文で、ダウンストリームの活動だけではなくアップストリームの活動が大事になってますねと言う話をしました。単純な例で言えば、禁煙に向けて個々人に働きかけるだけではなく、政府やコミュニティに働きかけ、規制してもらったりゾーニングしてもらうことが大事ですよねという話です。多分、ソーシャルにかかわらず、通常のマーケティングにも当てはまるような話ではあります。

アップストリーム、ダウンストリームの話において、しばしばメタファーとして語られるのは「川」です。下流で汚染された水に困っている人がいるとして、その下流でどんなに頑張っても対処療法しかできない。であれば、上流に遡ってそこにある工場に働きかける必要がある。同様に、下流の氾濫を抑えるためには、上流でダムを作るのが良い。海外の学会でもよく使われていたので、多分どこかの本にも書かれているのだろうと思います。

ただこのメタファーはちょっと気になるところでもあります。アップストリームとダウンストリームを川の上流と下流だと考えてしまうと、上流が下流に影響を与えることは言えますが、下流が上流に影響を与える可能性はほとんど議論できません。そして、おそらく海外でアップストリームとダウンストリームと言う場合には、まさにこの川のメタファーで議論されているような気がします。

例外的な考察としては、ダウンストリームからアップストリームへの影響は、言及のパターンとして意図せざる結果や、それに付随した集合的な成果としてもたらされると考えられています。この場合には、川のメタファーというよりは、もう少し抽象的な階層性や集合性が念頭に置かれることになります。

あるいは、川のメタファーに該当するアップストリームとダウンストリームは、政府と個人のような具体的で個別の主体の形をとっています。しかし、集合的にと言う場合には、アップストリームとダウンストリームは社会と個人のような対応関係になり、個の集合として社会があると言うような形になりそうです。

もう少しいえば、例えばハームリダクションのようなやり方について、それをダウンストリーム的であるとして批判することは容易です。麻薬の注射器を使い回すことでエイズが広がってしまうというとき、まずは注射器の使い回しをやめさせ、清潔な注射針を提供する。これはダウンストリーム的であり、アップストリーム的に見れば、そもそもの麻薬を打つような状況に対応しなくてはならないとはいえます。しかし、明らかにアップストリームへの働きかけは大掛かりで困難であり、ダウンストリーム的な活動が無意味であるとは言いにくいです。そこで、ダウンストリームの正当化や、あるいは継続的な可能性として、ダウンストリームの活動が何かしらのメカニズムにより、アップストリームにも影響し、結果として全体をより良くしていくと言うことを示したい。その場合には、少なくとも川以外のメタファーを考える必要がありそうです。

もちろん、川の水が海にいって蒸発し、、、という長いサイクルを考えてもいいわけですが。

 


2020年06月30日 | Posted in エッセイ | | No Comments » 

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