未来になればなるほど過去は近くなるということ

 最近いくつか大河をみていて、あー知らなかったね、この話と思ったりします。明智光秀の話だったか、本能寺の変の理由の一つとして四国での長宗我部氏と三好氏の対立の話を知りました。あー知らなかったね、文書が発見されたんだねと思ったわけです。このところ真田家もよく出てきますが、昔は真田十勇士とか、幸村の大坂の陣を知っているぐらいだったところ、今であれば、上田城での徳川との攻防もよく知られるようになりました。また最近は女性の活躍も注目されるようになり、脚色もあるにせよ、より見えるようになってきました。鎌倉時代の話とかはそもそも知らなかったところではありますが。

大河に限らず、卑弥呼の墓?が見つかったり(違うようですが)、中国では少し前に曹家のお墓が見つかったり、エジプトでも何か見つかった気がしますが、新しい発見がどんどんと起きています。昔はわからなかったことが、いろいろわかるようになってきている気がします。もっと科学の世界で言えば、ビッグバンとかも、以前よりもわかっていることは増えたと思います。

 当たり前の日常でありながら、ここで変な感覚も生まれます。普通は、過去のことは、未来になればなるほどわからなくなっていくものではないでしょうか。昔のことはどんどんとうやむやになり、時間とともに消えていく。伝聞されたものだけが残り、しかしそれも伝聞の過程で形を変え、真実は闇の中に。。。ところが、部分的には(というべきかもしれませんが)、私たちが子供だった頃よりもよりはっきりとわかるようになり、新しい事実が次々と示されるようになっている。未来になればなるほど、過去がよくわかるようになり、近づくことができるようにも感じられる。技術の発展だと言えばそうなのかもしれませんが、なんだろうこれはとも思うわけです。

 時代の中で、新しい解釈が生まれるということはもちろんあるでしょう。同時に、新しい過去が発見されるということもまた、これから起こり続けることは、当たり前のことである以上に、どういう意味なのか考えてもいい気がします。

 


2023年12月01日 | Posted in エッセイ | | No Comments » 

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