アマゾンと楽天・改 取引売買集中の原理の場合

[備忘録がてら]

先日、プレジデント・オンラインの方で、アマゾンと楽天の比較(歴史的経緯ね)を書いた。そのとき思っていたことをつれづれ書いただけだったが、別途いろいろな視点で考察できるなぁと思った次第だった。ということで、こちらでは備忘録がてら、もう少し違う視点からの補足考察をしておきたい。せっかくなので、今回はもう1つ、このところいろいろと注目されてきたZOZOTOWNでもくわえながら考えてみようと思う。

3社を考えてみた場合、僕がすぐに思いつくのは、ポーター流やコトラー流の戦略論である。おそらく、アマゾンは全方位のネット小売、楽天は同じように全方位だが、基本はショッピングモール、ZOZOTOWNはアパレルと中心とした専門小売といったところで区分できるだろうか。規模からみても、アマゾン、楽天、ZOZOTOWNになるだろうから、まさに基本戦略のとおり、アマゾンは全方位、楽天は対抗して差別化、それからZOZOTOWNは集中・特化とみることができる。

この手の分類はよく知られていて、やりやすいところではマクドナルド、ロッテリア、モスバーガー(ちょっと古いか)であったり、メーカーを想定して、パナソニック、ソニー、三洋(こっちももう比較できないな)といった区分を考えてみれば良い。

[商業の視点]

とはいえ、この程度の分析ではあまり特徴が見えてこない。今回は、戦略や組織という観点ではなく、商業という観点から見てみようと思ったのだった。商業という観点から見たとき、小売にとって最も基本的な考え方となるのは、取引売買集中の原理である。取引売買集中の原理は、その言葉の通り、商業が取引や売買を集中させるということを意味している。

アマゾンであろうとウォルマートであろうと、実は、こうした小売業は僕たち消費者には必要がない。僕たちが欲しいのは商品であって、お店ではないからである。理想的には、メーカーがものを作ってくれて、それを僕たちが買えばいい。

しかし、いうまでもなく現実にはそうはいかない。商業という仕組みがなければ、僕たちがものを手に入れることはできない。ここに、どうしてメーカーと消費者の間に商業なる(余分な)存在が入り込むのかという古典的問題が生まれる。この問いに答える論理が、取引売買集中の原理である。

アイデアは単純だ。もし、僕たちが全てのメーカーと直接取引をして、直接ものを買わないといけないとすると、これは本当に大変な話になる。メーカーはもっと大変で、何千万、何億という消費者と個別にやりとりしなくてはならなくなる。商業は、この手間を解消する。すなわち、商業者がメーカーと消費者の間に入り込むことで、個別に行う必要があった取引の数がずいぶんと節約されることになる。

[理想としてのたった一人の商業者]

当たり前だと思うかもしれないが、この考え方も、実は現実に合わない。たくさんのメーカーとたくさんの消費者が直接取引するのは不便だから、間に取りまとめ役の商業者がいてくれた方が便利だという場合、商業者は何人いるとベストだということになるだろうか。言うまでもないだろう。1人である。

これを取引売買集中の原理という。商業者がただ1人存在し、全ての商材を取り扱い、全ての消費者がそこで何でも買えるようになるとき、社会的な利便性は最大になる。

インターネットが登場し、その上でネット小売が大きくなりつつあった頃、商業論という枠組みから言えば、取引売買集中の原理がまさに働きつつあると考えられた。このアイデアは、過去にも例えばダイエーが急成長を遂げていた頃、理論に基づく流通革命が進みつつあるといわれていた。

アマゾンの成長は、まさに取引売買集中の原理を押し進めつつある。アマゾンに行けば、本だろうがCDだろうがアパレルだろうが食品だろうが、何でも購入することができる。商業者は1人いれば十分といわんばかりである。だが一方で、少なくとも過去数千年において、商業者が本当に1人になった歴史はないだろう。

理由はいろいろあるが、最も言われてきたのは空間的制約であり、北海道と沖縄では当然別々に商業者がいた方が便利だろうという論理だった。しかし、ネット空間ではこうした制約は取り払われる。

もう1つ重要なのは、品揃えによる価値生成だといわれている。最初に僕たち消費者が欲しいものは、商品であって店舗ではないといった。けれども、店舗にはある有限の商品が並べられており、独特な品揃えを形成していることがある。アパレルはアパレル、文房具は文房具と並べられていれば平凡で当たり前だが、アパレルと文房具を一緒に並べたらどうだろうか。無印良品になる。そうなれば家電も家具も一緒に並べられる。あるいは、100円均一はどうだろうか。プラスチック製品やガラス製品が100円というくくりを与えられることで、そこには100円ショップという全く新しい価値が生まれる。

[品揃えに注目する]

品揃えの形成は、メーカーによる商品開発ではなく、商業者の独自の活動である。この活動がうまく行われる限り、商業者の数は1にはならない。むしろ、商業者が独自の品揃えを作り上げ、取引売買集中の原理に対して、積極的に対抗できるのである。

基本戦略で考える限り、こうした商業の独自性は見えにくい。もちろん、これも差別化として議論することができるだろうが、焦点はずいぶんと絞り込まれている。少なくとも、味の違うハンバーガーでの差別化が問題とされるわけではない。

さて、アマゾン、楽天、ZOZOTOWNには、どのような独自の品揃えをみることができるのだろうか。そこに、無印良品や100円ショップのような独自性を見いだすことができるだろうか。見いだすことができるのかもしれないし、できないのかもしれない。ざっとみるかぎりでは、アマゾンと楽天はずいぶんと品揃えが似てきている。この場合には、売買集中の原理から言えば、2社はいらない。ZOZOTOWNは、まだ独自の品揃えという印象を持つ。ネットで品揃え形成の独自性が有効であるかどうかは、商業論にとっても、それから当然企業の競争戦略にとっても興味深い問題を提起するように思う(後はどなたか調べていただければ。。)。

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2012年08月14日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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